先日のコンサートで、
久しぶりに『M.A.(ミュージカル マリー・アントワネット)』からの数曲を聴く。日本の演歌っぽい?哀調が胸打つ、名曲ぞろい。
『M.A.』はね、クンツェさん+リーヴァイさんの作品の中で、一番「宝の山が眠っている」感が強いというか。名曲が揃いすぎて、お互いの印象をつぶしあっているような。
(タカラヅカの『ベルバラ』みたいに、〜編と〜編って、楽曲を分けるとかして、
別の舞台として再編成したほうが、客席に届くんじゃないの?とか)
そのせいか、
本編を観たときよりも、こうして数曲をピックアップして並べたほうが、演出家の栗山さんの持つ人生テーマがあぶりだされてくる気がしたのね。
『エリザ』の製作発表で小池さんがおっしゃったのと同じ意味で、『M.A.』も今の日本に問いかけるチカラを持った作品かもしれない、と思ったんだよ。
以前、TVの紀行番組かな? 宮殿の一部屋に住んでいるリーヴァイさんがインタビューを受けていて、そのときサラリとピアノで弾いてみせた「流れ星のかなたに」が素晴らしくて。
こんなに、かわいらしい曲だったの? 作曲家が描いていた音楽観は、コレだったの? 揺れ揺れとロマンティックで、魂に沁みこんでいく。
(この自由な感じを楽譜に落とそうとしたら、そりゃ転調・変拍子が溢れるわけだワ)
で、改めてアニエス+マルグリットの歌を聴いて。
日本語のメッセージを「がっつりと」伝えようとすると、やっぱりこうなるか。これはこれで、納得だけれど。んん。
ストーリーの中でこの歌が持つ意味が、実際の舞台では少し後ろに追いやられているけれど、この歌を中心に全体が展開すると、
全然違った作品になりそうだよな。
進行役さんが、日本公演からウイーン公演に移った際の変更部分を説明してくださって、
ウイーン版CDの曲構成の意味を、もう一度、考えてみたりする。
最後を、フェルセンを中心とした「祈り」の声で締めるのなら、
最初のカリオストロの歌は、それと対になる意味を持つはず?
「祈り」に相対する想いって何? 「破壊」? 「カオス」?
「イリュージョン」は、その辺の意味を強く持ってくるわけか。
そしたら作品の流れからして、
フェルセンとカリオストロの対立(と融和?)が芯となるの?
えっと、だったら、
フェルセン=マリー
カリオストロ=マルグリット
という図式が成立して??? だから?
だからね。コンサート聴いてて、浮かんだことの、メモだってば。
あと。
こーいうとき、祐一郎さん、損したよねぇってことは。
全作品に持ち役・持ち歌があるから、わぁ、あなたがこの歌を歌うとこーなるのネ!って、
サプライズがない〜
禅さんやいくくんと、歌をとっかえっこしてみても、おもしろかっただろうに。
ええ? ダメ?
「ぼくこそミュージック」とか〜
ついでだから、コンサートでうれしかったことをふたつ。
西野さんが指揮してる後姿。
わたしが思っていた以上に、実はロマン溢れる方でいらっしゃる?
それから、
東宝ミュージカルのアンサンブルさんは、至上の宝だ〜
それを、確認。