あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「M.A」を観た

            2006/11/12 17・30〜  帝国劇場

帝劇にミュージカルを観にいったはずなのだが……。 新国で新劇を観てきたって気分です。 帰りの電車で、閉じたまぶたのふちにずっと涙がたまっていた。 泣いていたのではない。 重さに打ちのめされて。 
もう二度と、同じ重さで「自由」という言葉は使えないと思う。

わたしたちは無邪気に「自由」と口にし、掲げ、理想や権利として振り回すけれど、
その言葉が意味を持つために、何をどれだけ犠牲にしてきたのか。 わたしたちはその後、ちゃんとその歴史と向き合ってきたのか。 忘れ、葬り、当然のものとして弄んではいなかったのか。

1幕ではね、内心ボージョレ・ヌーボーかなあ(わかる?)と思ってみていたのですが。
人間の持ついろいろな両極面を、双方から光を当てて描き、それが次第に逆転し、エスカレートしていくのです。 
だから2幕がね、
客席が身じろぎもできず、息を詰めて、心から血を流して、ただ舞台を見つめるしかない。
終幕の赤と青と白が……、つまりフランスの国旗の色なんだけれど、それが何で構成されているか……。

アントワネットが、とても素敵!  

いやぁ、ミュージカルとしてはつっこみどころ、あるんですけれど。 
このウィーン・チームは、ワンパターンの娼館を書かなきゃ、おさまんないのか?とか。
ただパーツを並べんじゃなくて、細かい序破急でストーリーの流れをつくんないのは何故?とか。

 

で、問題はカリオくんだ。 なんなの? このむずかしー役どころは!

まあ、わたし(だけだと思うが)の目は、ここを主役として観ているものだから、すぐにめんくらった。 ちょろちょろと回数は出てくるんだけれど、誰との関係性も描かれないし、会話しないし、役の意識の流れをつなげていかれない。 祐くんてば、どうやって意識をつくって、もっていっているんだ?  (という観かたができるようになったのも、劇作を学んでるおかげ)
しまいには、必要なのか、この役は?とも思えてくる。 いや、この役があるから、1枚の皿に絵として作品がのっかっているんだと思うけれど。
たぶん、何10人といる出演者たちと、舞台上ですれ違うんだけれど、誰とも「交流」してなかった気がする。 ひとり芝居なんだよ、ずっと。 (それともどこかで、してたかな〜。覚えてない)

わたしはね、石橋を叩いて壊して泳いで渡る性格(笑笑っ)だけれど、祐くんは壊れた石橋をバランスをとってひよぃひょいと渡れる……から。 何か方法があんのかなぁ。

ところどころで、おちゃめなことをしてみせるのが、ふわりと空気をおもしろくさせる。 カリオの存在意義を、少し考えてみようと思う。

 

パンフをみていたら、スタッフをしている友人(ご無沙汰♪)の名が、思っていたより上位に書いてあり、感動する。 がんばってるんだなあ。 
(がんばりすぎるコだから、たまにはのんびりしなさいねって、誰か伝えて)