あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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『レディ・ベス』

my初日(今季公演で初めて観た日)までほかの情報を入れないようにしていて、解禁してから観たのはあやちゃんの初日カーテンコールの映像で、my初日に拝見した花さまとは同じ役なのに全然違う佇まいで、もうびっくりで、そりゃ来月観に行くまで待てなくて、ぽちっともう一枚チケット買って観ましたとさ。

三茶de大道芸でがんばったご褒美とかなんとか、自分に言い訳☆

  

で。

その日は選挙の数日後で、朝からこんな記事(の途中まで)とかほかの人のいろんなコメントとかをネットで読んでいたので。

エリザベス一世と姉メアリーの確執 イコール プロテスタント(この作品ではイングランド国教会とはしていない)vs カトリック の追突が主軸のひとつであるミュージカルを観ながら、

なんとなく、リベラルと保守の対立を重ねてたのでした。(んなのは、わたしだけだよなぁ~とか思いながらw)

 

舞台では(保守派?)メアリーを否定してるけど、今の日本国民は安定政権(右派保守)を圧倒的に選んだんだなあ、とか。

ナチスが強い支持を集めたのは経済政策の成功だそうです。嫌な予言ね)

まあ、自己判断という責任からの逃走は日本人の変わらない特質のひとつなわけで、日本演劇は歴史の果てにリベラルというか左派?の啓蒙に失敗したわけかな、とか。

 

なわけで趣旨とは見当違いっぽいけど、べスと教育係のアスカムが自由と平和を願うデュエットに、つぅっと泣いてたりしました。真の意味で自由な、自分に正直な生き方とはなにか、を舞台を通して語りたいのは意味があるのかしら。伝わるのかしら。

無力で、透明な夢だったのね。

でもそこを外したら、わたしが生きてく意味がなくなるわね。

 

 

保守とリベラル。そのキーワードはこのミュージカルを通して、もうひとつ意味を考えさせてくれて。

べス役のおひとりは、生まれながらの王女さま的存在で。幼い少女らしさの役作りに腐心されてて。保守的な役作りというのかな、自分の演技プランだけで動いているので、周囲のキャスト全員が額縁でしかないというか、心が通い合っていないというか。

もうおひとりは、王女らしさを必死に習って身につけたばかりで、所作や気持ちのひとつひとつを丁寧に確かめながら、舞台のほかのキャストと一緒に空気の中に漂い、反応して呼吸して、探り続けてらして。

どちらが正解というわけではない。保守とリベラルのように、別の価値観があるだけなのかなと思えたのでした。ただ、肉体としての説得力は変わってくるように思うのだけど、でも観客のほうにも保守派がいて、支持も分かれるのかな。

 

ふーん。いくくんは昔は後者だったのに、今では前者の役作りになっちゃったんだなとか。(役を楽しんでるのかな?と気になってます)
かなめさんは状況と体調にあわせて、前者と後者を使い分けるよねえ、とか。

 

 

メアリー役も、これでWキャストの両方を拝見できました。

おひとりはベスとの対比という意味でイメージぴったりで、説得力が格別。もうおひとりはそこを必死さでカバーしてらして、けなげな悲しさが格別。

保守派メアリーにロックを歌わせちゃうのが、リーヴァイさんんのすごさだなあ。ん? 今どきはロックは保守分野なのか? 

 

 

長男ヘルと新規アルくん(わかる人にしかわからない符号ですネw)が並んでると、某作品での世代がズレてて共演はしてないのに、勝手にお風呂場のシーンが妄想されて、内心大爆笑☆ スケールでかい奔放なシーンになりそうだわぁ。 

 

 

作品は初演から歌もテキストも大幅に刈り込まれて、テキストとして正解に近づいたような気がします。
べス、そこで叫ぶか?みたいなのはドイツの感性なのかしらと思う箇所はある。

 

アンサンブルさんたちが、もう少し壊れてエネルギッシュだといいのになあ。と実は思っています。テーマソングを歌いながらべスを見送るシーンが、秘めた情熱や怒りを内蔵する民衆の祈りになったとき、作品が別の意味をはらんできそうな気がするんだけれどなあ。

 

 

ちなみに。少女趣味的な妄想があって。
ロビンはおそらくウォルター・ローリー卿あたりのお気に入りの従者になって、べスと再会しそうだな。