10年前、降ってわいて導かれるように書いた戯曲がある。『春酔いの島』と名付けたそれは、古事記の冒頭のエピソード群の読みかえで、
イザナギとイザナミは最初に生まれた子どもヒルコが「欠けたからだ」だったので海に流し、その後ヤオヨロズの神々を産み、ウンヌン。
というのの、
「欠けたからだ」とは通常、手足の欠損とされるわけだけど、女性だったから、と解釈したところが話のキモのひとつだったわけで。
当時はちょうど、女性天皇についてのあれこれが言われてたしね。
書き上げたときからわたしはずっと、物語の欠損感にしばられて、でもなにが欠けているのか?がわからなくて、じりじりと考え続け(気づけば10年!w)、
ときどき手を入れては、何度かあちこちの賞に応募してみてはいたのだけれど、(実は今年も出して落選w)
あ。なぜ今さら、こんなことを書いているかといえば、
昨日、手違いのていで某氏から送られてきた書きかけの戯曲があって、つまり、あんたが書かないんならこのアイディアはおれがもらって公演するから宣言なのかな?と。
まあ、師匠が弟子のアイディアを使うなんてのは、10年待って遠回しにことわりをいれてきてる分、ていねいなことだし、
それでも、ナメられてるよなあ。
10年、寝かし続けているわたしが悪いってか?
と、植物に水をやりながら、つらつら考えていたら、
欠損部分が、ほりさげなければいけない部分が、突然「降りて」きた。
え? ありゃ??? あ。
なんだ。書かなきゃいけないことはそこだったのか。
自分のアイディアを、自分より手練れの、誰がどう使おうと怖くない。と知る。
大切なのは、どう描くかなんだ。そこにわたしの人格が問われる。
ただ問題はね。
今練っているプロットが、一番書きたいことだから。
形にするのは、そのあとだわね。
ちなみに、この一年間の東京、福岡、諏訪の神社(神楽殿)・祭礼めぐりは、神さまごとと人とのあり方を、日本人の風土を、わたしに刻み付けてくれた。
本棚の整理もしなきゃだなあ。