2014/3/11という昨日、
出会った言葉は「東日本世代(のボランティア)」でした。
祈りと自戒と希望とともに、3年前から意識と生活の一部が変わり、
それは日常の一部になったね。
全員ではないけれど、日本人は少しだけ生まれ変わった。
少なくともわたしはボランティアが日常となったし。
みんなで生きる、という視座で考えるようになったし。
復興が遅々として進まないのは、それなりにしかたがないようで。
国や自治体が計画を押しつけてどうなるものでもなく。
おひとりおひとりの選択が積み重なって、東北/日本は創られていくしかないように思う。
そこに、強制はあり得ない。
心の傷について語られるとき、
今こそ「執着からの解脱」を説く仏教の出番じゃないのか?と思っていたが、
あまり話題にならなかったような?
(被災地のお寺が請われていろいろな拠点となったり、活動されたりという話は聞きました)
サリン事件以降、日本人は宗教そのものに嫌悪を感じるようになったのかな、とか
思うけれど、
ミワさまとかゲキダンシキとか宗教に近い信心はあるわけだし、
坊さまのほうが受動態でらっしゃるのか?
と、
解脱の便利を説くのも、おせっかいな強制か?
検索・ワンクリックで10円寄付されるというキャンペーンが話題になったようです。
むむむ?
わたしはやってないので、具体的にどうだったのかはわからないのだけれど。
賛同・拡散した方たちはもちろん、それ以外にも募金されたんだよね?
他人に自分の分としての10円を払わせて、
ファッションめいた美談に満足しただけじゃないよね? と思いたい。