昔はこんなにおばかさんが跋扈してなかった気がする。と思っていたけれど、
間違っていたと気づいた。
昔は、おばかさんたちの発言は、ツールがなくて他の人たちに届かなかっただけなのだ。
いい時代になったのだな。
おばかさんたちの発言も、(一応)みんなの耳に流れるようになったわけだ。
わたしたちの耳には、大切な言葉も、なんだそりゃ?な言葉も、等しく届く。
困るのは、
おばかさんたちが、自分がおばかを言っているって気づかないこと。(ネットを通すと、なんかマトモにエラいことほざいているような気分になるもの)
他人の意見と自分の意見の区別がつかなくなっていること。(今日得た情報は、一晩寝れば自分が産みだした意見か?)
自分たちの無知、怠慢を、社会のせいにしていること。(自分の無力と向き合えないのは、あなたにはきっと隠れた才能(爆笑だぃ)があるはずだと教育されちゃったからね)
思ってもいないのに自分はダメだと、ちょっとばかりナイーブなふりをして、誰かが慰めてくれるのを強要したい。慰めあうことが礼儀だと思っている? (自分が孤独に頑張らなければ、今は見えない次のステップには進めないのに)
そうして、大きなひとつに飲み込まれて個性をなくしていることに気づかず、自分は賢い勝者だと信じている。
言霊の持つチカラに、にぶくなっている。上っ面に言葉の小ジャレた言い回しにばかり、敏感になり、それを人より先に振り回すことが勝者の証だと思っている。
えーと。
と、つらつらと書いてみたけれど、案外それは、昔からそうで。
そうだということが、オモテに出ていなかっただけなのかな、とか。
などと考えつくのも、巨大なネットツール様様のおかげだと。
昔と今のはざまにいる自分たちの世代だから、見えている感動に。
気づいて、ちょっと感動したの。
そして。これもいずれは、何かに進化するのだろうかと。それは、どこへなのか、と。
思い巡らしたいけれど、
まったくの虚無でしかない。イメージがまるで届かないのよ。