あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

百年のイバラ @福島

今年も、東京都主催ヘブンアーティスト被災地支援ツアーのお手伝いボランティアをいたしました。
過去のレポートはコチラ。(真ん中あたりの段にリンクがあります)

去年はわたしの都合があわず。その前は2011年から岩手・岩手・宮城・宮城と参加し、正直に言うと、おととしの時点で復興の実感や成果みたいなものをそれなりに感じていたのですね。

 

今年、わたしははじめて福島に伺いました。そしてここの現状を実感していなかったことに打ちのめされ、この土地で、丁寧にコツコツと住む方々に、とても感動しました。

とにかく、海沿いの福島の復興はまだまだです。

手厚く整理はされているものの、それはじりじりとしたわずかな復興で、や、復興と呼んでいいのかもあやふやな、一帯、緑が獰猛で、そのくせどこかがシンと静かな夏の風景でした。

このことについて、マルとかバツとかは語れません。すべきことはあまりに膨大で、なめらかな道ではなく、でも地道に積み重ねていくしかないのだろうな、と感じます。

この努力に対して、安易に悲劇や糾弾を語ってはいけない気がしますし、

東京モンができることと言ったら、訪問・消費によって経済を少しでもまわすぐらいな気がしました。(ほかにあるかしら?)

 

最初に伺ったのは、楢葉町のここなら商店街さんでした。

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ようやく帰宅解除になり、3000人が戻る予想の中、現在の人口は600人程度だそうです。その数字を聞いた時点で、まぁ仕方のないことではあるよねぇと思い、ものごとは思惑通りにはいかないものだしなぁ、とか。

大道芸でチンドンが呼び込みを始めても、まず人がいない。お昼時に食事に来る作業服の方々がちらほら。
わたしはてくてくと人寄せにと周囲を歩いたのですが、それにしても人がいない! いない~! たまに車が通りすぎても、作業服の人たちだけで。
お、スポーツセンター発見! しめしめ、人がいるかな!とのぞき込んだら、膨大な荷物置き場としてどんよりと固く閉ざされていたのでした。えー?

 

お客さまは結局、20人くらいでした。最初からいらしたのはおひとりきりで、そのおじいちゃまがにこにこと「ここには人がいねーがらなぁ」と。
あ。夕飯のときね、でも600人の中の20人が観てくださったんだから上出来!と言ったら、芸人さんたちからどんだけポジティブなんだよ!と爆笑されましたw

わざわざ東京から来て、20人のための大道芸って、これは失敗? とは思いません。
街としての空気のあり方を少しでも動かし始めるキッカケとして、そんな役割を、大道芸が果たしてる気がしました。どうかどうか、来年もつづけられますように!

 

そのあと、海辺の道を北上しました。森の向こうに建屋があるはずの、幹線道路だけが生きていて、脇道は封鎖されている道。封鎖ゲートにはふたりずつガードマンがいて、マスクはしてるいけど制服のままで、

帰ってきていい場所の近くではあるけれど、帰ってきてもいい場所であるかどうかは、微妙な自己責任を要求されそうな。
バスすらの交通手段がないのは、人が住んではいけない場所である前提だからで、
でもそこで仕事をしている人々は、いる。

車窓に次々と流れて見える家々や庭は、除染されたらしく、きっちりと整理され、窓の中には白いカーテンがめぐらされ、そして人気がない。
手放された家なのか、どうしようもないとモテあまされた家なのか。

元気よく生い茂った草むらはよくよくみると、田んぼの跡地であることが知れ、
打ち捨てられたパーラーやパチンコ屋さんの看板には、ATOMの文字が踊る皮肉。

あちこちに、土嚢や敷砂利の山があり、
ときどき鉄くず置き場があり、

荒れた校庭、窓の割れた道の駅、さびたポスト、
ガススタンドは何件かごとに現役があり、人がいる場所として必要とされている。

でも、人はいない。そこに住人は見かけられない。

卵の自販機も見かけた。電源の切れたあの中には、五年前の卵が匂いを放って溶けているのかしら。

 

人々の去った土地。街として戻したいけれどなかなか困難な、土地。

 

これが、日本の一角であることを、ちゃんと意識していなくては。

そこに人がいて、家族も含めて住み始めてもいることを、街を作ろうとしていることを、ちゃんと気に留めていなくては。

 

(ちなみに、福島内陸に住むわたしの友人たちは元気に暮らしています。これらはあくまでも海辺沿いの話ね)

 

 

二日目。南相馬の道の駅。

友人からみておいでといわれた公園のじゃぶじゃぶ池。子どもたちの外遊びのために、ボランティアで作られ、管理されているそうです。

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ということをプロデューサーに話題にしたら、

そのよその土地から来たボランティアの中心人物は、やがて市の職員になり市長になり、つまり市民に熱心に支持された結果だけれど、政治家になったわけで、

美談として語るにふさわしいかどうかは微妙だからねと返されました。

それでも、ブルーシートからはじめた池がここまで整備されたのも、事実。

 

 

四日目、最終日。川俣町の仮設住宅です。ここは通路ごとが、見事な見事な花盛りでした。(写真は大道芸のステージになった集会所前です)

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電気屋さんが、一軒一軒に声をかけてたりしてね。丁寧に、気持ちよく暮らす。そんな心遣いが隅々に感じられる住みかでした。
でもここも、来年の春には閉鎖される予定だそうです。

 

わたしはぽつぽつと何人かの方とおしゃべりしたのですが。

おひとりが、福島は日本から打ち捨てられている!と吐露されていました。だから来てくれてありがとう!って。
たぶん、それもひとつの真実な感情で。でもそれだけでもないのでは?という印象もある。ただ、その方に対して、否定や疑問の返事はしません。吐露は言葉の気持ちのまま、まるっと受けとめました。

 

おばあちゃまのひとりとは、このグリーンカーテンについて尋ねて、種を分けてもらいました。朝顔の一種らしい。

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来年、東京のベランダに撒くつもりです。こう書くと、福島で採れた種を撒くなんて無神経だと言いだす人がいるのかしら。
でもね、子どもたちも含めて、人が大勢住んでいる場所からもらった種なんだ。わたしの生活の中に、時間の中に、つなげたい。

 

 

なにごとにも、いろんないろんな面がある。それを忘れてはイケナイ。簡単に判断してはイケナイ。だけど夢見ることがトリガーになる予感がある。

そして、少しずつ少しずつ、前に前に。絶望から、ロマンに。

進めればいいなぁと、思うわけです。

 

 

 

あとね!

すっごく実感したことは、福島の方々って、みんなめちゃ明るい!(いろんな方がいるのもわかったうえで、言います)
そしてみなさん、たくさんの差し入れやお土産を持たせたくださる! あれこれと!

これ、お国柄なのかしら。 

いろいろとありがとうございました。

 

 

最後に撮った集合写真です。

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この四日間のショーについては、別に書きます。いいショーだった!

みんなおとなだった!!

 
でもま、とりあえず。今日はここまで~