夏越と書いてなごしと読みます。(ちゃんと変換もするよ!)すてきな言葉だなあ。
わたしの住むエリアを氏子さんとする神社ではやらないみたいなので、ご近所の太子堂八幡さまに行ってきました。6月の最後の日。大祓。
先日一度行ったので、どうしようかなあと友人にこの写真を送ってみたら、即行きます!と返事をくれて、この日は実は少したいへんな一日だったのだけれど、がんばって行ってきた。
本殿の下手側にある神楽殿に祭壇をもうけて、神さまをそちらにお移りいただいて祭礼をし、
本殿上手側に仮説ステージを神楽殿に向ってしつらえてあり、御囃子や神楽を奉納してました。
本殿正面は、茅の輪。
祭礼のあと、宮司さんについて、みんなで一度だけ茅の輪をくぐる。
ステキなのは、
赤ちゃんや子どもたちが大勢いたし、あらゆる世代の方たちがにこにこと集っていたこと。
お神楽も子どもたちが大活躍で、たぶん地域の氏子さんたちの中でちゃんと継承されてるんだろうなあ。
あ。テキやさんが誰もいませんでした。(ここ、秋祭りは壮観なんですが!)
そうそう。祭礼の最後のほうでは、大祓詞は全員で唱和。
まさか自分が声に出して読む日が来ようとは思っても見なかった! 大祓詞!
日本人は禊をすればすべてをなかったことにしてしまえる! 海では女神さまが穢れを飲み込んでくれて、そのあと男神さまが風で吹き散らしてくれるって内容のアレ!
声に出してみて、わかったことがいくつかあった。
宮司さんの息継ぎが長くて、とても合わせられないこと。
でも宮司さんも息継ぎは必要で。そのときは氏子たちの声が詞をつなげていき、言葉はずっとつながっていくのだった。
八百万の神の何人かが詞の内容に出てくるのだけれど、そうか、穢れを祓うためには、順番にみんなで大勢が作業をつないで、完遂するのだった、とか。
あとね。
「罪と言う罪は在らじと」というフレーズが二回出てくるんだけれど、
もちろんこれは、「罪と言う罪はなくなってしまうでしょう」という意味なんだろうけれど、ふと、
「この世に罪と言う存在はない/罪であることも、罪ではないとは考えられないだろうか?/赦すとか以前に、相手をそのまま受け入れられないか?的な」と感じられてしまい、
ああ。まだまだわたしには無理です~とか。
自分の深くに染みました。
お神酒をちょこっとだけいただき、浄めのおそばもいただき、おもいがけなくがっつり大祓を体験!
一緒に行ってくれたひとみん、ありがとう!