あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

溜飲を

どうやらさっきから、「溜飲を下げる」という言葉が頭の中でぐるぐるしている。
 
 
 
あそー副総理の発言に対して、ネット上では糾弾と弁護があり、
もっといろいろ他に大切なことがあるはずなんだが、
 
イジラレキャラとしての愛嬌とか、
さっさと謝ってしまう軽さ(それに対する糾弾がまた、あったりする)とか、
 
安楽死とか死刑とか「死」に対するヒステリックな嫌悪感もわからなくないけれど、
死という結末を選ぶ権利も思想や選択の自由のうちだという発想もあると、
(あー、何かが飛んできそうだわ)
その辺をもっと、受け止めたり考えたりしてほしかったりするんだが、とか、
 
そんなぐるぐるする考えよりも、強く、
 
糾弾するという行為を通して、何かに対する溜飲を下げたいんだろうな?
その何かって何???
ということに、どうやらわたしの興味は向かっているらしい。
 
 
 
 
 
困ったことに、まず。
自分はどんなときに溜飲を下げているのか、思い至らない。
「気が済んだワ」とか「満足よっ」とかは使うけれど、ちょっとニュアンスが違う?よね。
 
 
自分が溜飲を下げ「られた」ときのことを思い出そうとしてみる。
 
おかまさんに絡まれて、公共の場で土下座させられたことがある。
ところが女子が土下座するってことは、三つ指をついたそれは美しい動作でしかなく、
おかまさんはいよいよ激怒して、収集がつかなくなったんだっけ――
 
ごめんね。下げようとしてた溜飲を逆流させちゃったんだよね。
 
 
 
相手を見下すことで、自分のプライドを保守することは、見苦しい。
 
(そしてわたしは、こうしてブログを書くことで、溜飲をさげているのか? 冷や汗だわっ)
 
 
 
 
こうやって書き出してみると、
 
ぐるぐるぐねぐね考えていたことが、とてもくだらないということだったってことが、
わかったワ〜