あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

夢の中で

わたしは夢の内容を覚えていることがほとんどない。ただ、目覚めたときのからだの感じで、たぶん○○の夢を見てたのかな?と思うことはある。
目覚めたときは覚えていても、砂がくずれるようにどんどんと忘れていくことも多い。意識の流れにストーリーがあると、たよりない手触りだけがそれでも残り、でもそれすらもすぐに風化していく。

今日は目が覚めたとき、
コンテンポラリーダンスの発祥を体感した?という感覚が残っていた。おぼろげな状況やストーリーと一緒に。
冷静に考えると、とっても つくりごと めいているけれど、現実に踊れない体現できない自分的には、なかなか興味深い夢だった。

 

ある状況下で泣き叫ぶ子どもに、その気持ちを相手にぶつけなければとなだめ、付き添うのだけれど、道の途中で、自分には説明できない、無理だから、代わりに伝えてきてほしいと言われるのだ。
一緒の状況にいたわたしには、そのコの気持ちが理解できる。言葉で説明するのが困難なニュアンスも、わかる。
年長者の分、経験値がある分、自分が代弁するのは、一理ある気もする。
でも、最後に伝えるのは、そのコ自身でなきゃなぁという、気持ちもある。

夢の中では、伝えるべき内容が、どんどん抽象化され、記号化されていく。
余計なことがそぎ落とされていくと、誰にでも共感できる普遍なテーマにはなるけれどと思いながら、
だが、そこまでそぎ落とすと、このコのナマな悩みや想いからはどんどん遠ざかってしまうから、それはどうなのだろう?と迷う自分もいる。

そんな気持ちの流れや揺れと、自分の指先や表層の「細胞(モノ)」が、シンクロして揺らめくのを感じる。
自分の末端の細胞を丁寧に感じ、バラバラなニュアンスをざっくりとすくいあげて、会話する。反応する。言葉にはできない、表現。体温。乱れ。方向性。
これを他人に伝えようとするテクニックを、遠く遠くに感じる。
(これらには昔々の演劇ワークショップで体感した記憶が関係しているのよね)

 

まぁ、そんな夢。

 

 

※ 私信 

ブログ、読みました。久しぶりに文字がたくさんの。 (⌒-⌒)b
J系の方との大変さは、いろんな噂を聞いているの。
あせらず、ゆっくりとさがしつづけていれば、なんとなく見えてくるものがあるはずだから。
まだ見えない未来を、ひそやかに楽しみにしています。