詳細説明が面倒で、つい「わたしの直感!」と言ってしまうことがおおいのだが、
ようやく最近、自分の表層を引っかくささやかな違和感のことを指しているのだと気付いた。
で、わたしの場合、その違和感にズルズルとストーリーが繋がってくるので、
いよいよ面倒というのか、楽しいというのか。
もっとも、根拠がないじゃんと言われればそれまでなので、
まぁねぇとか苦笑しながら引っ込むことも多々。
ただ直感だと説明していたように、真実をついていることが多いと思うのだけどね。
自分としては。
たとえば。
さっき坂手氏のブログから飛んだこのページの、在日米軍司令部(!)発行というコミック。
http://www.usfj.mil/manga/Vol%201/Index.html
なんの冗談だ?という内容ですが。
1話と2話で微妙にニュアンスが違うのに気付いた? (これが違和感)
よくよく見ると、描いてるまんが家さんが違うの。
こんなページ数で、なんで仕事を分割してるんだ?という疑問。(次の違和感)
1話を担当した方は、全部肯定文を使いながら、たぶん、おちょくってるよねと気付く。
2話を担当した方は、素直に起こしてるのにね。
編集さんやクライアントがらみのその後ろのストーリーが、2、3浮かんでくる。
たとえば。
長編小説を読んでいて、ときどき訳文の出来ムラに引っかかる。
ある小説ではそれが3段階くらいあって、
そのとき初めて、分業?という言葉が浮かんできた。
考えてみたら、アシスタントが下訳(←こんな単語、あるのかな?)をして、センセイが纏めるという作業工程、絶対にありそうじゃない。
(某劇団四季のミュージカル訳詩もそうだし)
で問題は、その長編小説なんだけれど。
その翻訳者は某大学教授の肩書きもあったので、学生が手伝ってた可能性もあるのかな。(ほんとに下手な日本語だったんだよ〜!)
3回ほど出てくる、原作では同じと思われる文中の形容詞の訳なんだが。
(原文を洗ってないので違う可能性もありますけどね)
こんもりとした茂み という文が1回。
もっこりとした茂み という文が2回。
ちなみに、現在の日本語で「もっこり」というのは、すでにとても限られた使い方しかしないと断定してよいよね。
年配の方は、ご存知ないかもしれないけれど。
原作者のファンとしては、悪意としかいいようがない。
で、
その後ろのストーリーが勝手にズルズルと浮かんでくるわけですけどね。
いいようにコキ使われているアシスタントさんなり学生なりの、教授に対する悪意。
もしくは、種明かしをしそびれたいたずら?
なんにせよ、校正が甘かった(たぶんご自分でしていない)教授の責任。
ふーん、なるほど。
と思いながら、ここまで読んでくださった方たち。
同じ視線で、わたしはあなたを見ています♪