あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『キャンディード』を観た

2010.6.10. 13:00〜 帝国劇場

この作品との出会いも30年ほど前の、1枚のCD。
クラシック好きの弟から「舞台にできないと言われてるバーンスタインのミュージカル」みたいな説明でわたされた。 当時の感想は、うーん。 オーバーチュアは大好きだケドね、テンテンテン。 

なので、今回も観にいくのをかなり迷った。
ジョン・ケアードさん(演出)+井上芳雄さん(タイトル・ロール)+塩田明弘さん(指揮)で、決心。
期待は外れませんでした。

ミュージカル上級者向け。 を覚悟で、オススメ。
2階席のA列は、非常に美しい舞台全体と緻密なアンサンブルがよく見えてすばらしかったのですが、1階席客席通路の演技が数箇所あるのが全滅に見えないので、良し悪し。

最近のわたし、演出家の役割には大きくふたつあると思っています。
「舞台の趣向の決定」と、うまく言えないけれど「役者の鏡になる」。
この舞台、趣向がすばらしく魅力的に洗練されてます。 視覚的にも哲学的にも、びしっと居場所をはずさない。 下世話なユーモアも。
アンサンブルさんたちが、たぶん陰練をやりこんだでしょう?という高レベルで、舞台の豊かな魅力というのはそんなところにも、ある。

 

市村さん(狂言回しとキャラのひとり)の台詞量が恐るべし。

井上さんの声の魅力は、こういう人生の祈りのある曲で発揮されますね。 芝居の壁、あれでいいのか? あれがいいのか? ムズカシイ。

 

歌としての、言葉。 (そういえば、歌詞よかったです!)
言葉には確かふたつの役割があって、専門用語は忘れたけれど、「音」としてと「意味」としての。
「音」としての言葉は、すばらしい歌でした。
でも「意味」としての言葉を、からだが発言できるかできないかは、境目があるな、と。
村井さんやはじめさんや、阿知波さんの、言葉。

この方たちを観ながら、もうひとつ。
声や想いを客席に届けるだけでなく、舞台(役者)が客席を受け止めて成立するナニカみたいなものも、感じました。 それが劇場の空間の制御に繋がるのかなー、とか。 なんとなく。

 

あと、あの人数でこれだけの音の表情を作った、オーケストラにも拍手!だと思います。