あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

あなたならどうする?

こんな夢をみた。

 

その村はなにかのイベントらしい。ざわついている。そんな日に、迷路のような建物の中をわたしはあれこれと思いついては、さ迷っている。しなければいけない作業もあるようだ。

その中でわたしはひとりの子どもと2回、すれ違う。なぜか黒いかっきりとしたアイメイクをした幼い少年。

かれはどうやら造形的な才能と個性に秀でているようだ。だがアートには無知な狭い地域で育ってるゆえに技術はひどく稚拙だ。

夢の中のわたしは反射的に、広い世界のいろいろなアートをかれに体験させたら、必要な技術と素材を与えたら、どうなんだろうかと感じる。このまま世間に知られることなく埋もれさせておいて、いいのか。おそらく経済を動かすアーティストになれる気がする。

「ねえ」

2回目に会ったとき、わたしは少年にかすれた声をかける。黒いアイメイクが無表情にわたしを見返す。

「ねえ、もっと……」

 

と、目覚ましで起こされてしまった。

 

 

 

(-"-)

 

 

目覚めてからずっと、わたしは考えている。

夢の中でのわたしの反射的な考え方は、正しいのか。資本主義的な思い上がりではないのか。

かれは村の中で、世の中のことは何もしらないまま「狭く生きる」ことが幸せだし権利なのではないのか。 

 

『レディ・ベス』

my初日(今季公演で初めて観た日)までほかの情報を入れないようにしていて、解禁してから観たのはあやちゃんの初日カーテンコールの映像で、my初日に拝見した花さまとは同じ役なのに全然違う佇まいで、もうびっくりで、そりゃ来月観に行くまで待てなくて、ぽちっともう一枚チケット買って観ましたとさ。

三茶de大道芸でがんばったご褒美とかなんとか、自分に言い訳☆

  

で。

その日は選挙の数日後で、朝からこんな記事(の途中まで)とかほかの人のいろんなコメントとかをネットで読んでいたので。

エリザベス一世と姉メアリーの確執 イコール プロテスタント(この作品ではイングランド国教会とはしていない)vs カトリック の追突が主軸のひとつであるミュージカルを観ながら、

なんとなく、リベラルと保守の対立を重ねてたのでした。(んなのは、わたしだけだよなぁ~とか思いながらw)

 

舞台では(保守派?)メアリーを否定してるけど、今の日本国民は安定政権(右派保守)を圧倒的に選んだんだなあ、とか。

ナチスが強い支持を集めたのは経済政策の成功だそうです。嫌な予言ね)

まあ、自己判断という責任からの逃走は日本人の変わらない特質のひとつなわけで、日本演劇は歴史の果てにリベラルというか左派?の啓蒙に失敗したわけかな、とか。

 

なわけで趣旨とは見当違いっぽいけど、べスと教育係のアスカムが自由と平和を願うデュエットに、つぅっと泣いてたりしました。真の意味で自由な、自分に正直な生き方とはなにか、を舞台を通して語りたいのは意味があるのかしら。伝わるのかしら。

無力で、透明な夢だったのね。

でもそこを外したら、わたしが生きてく意味がなくなるわね。

 

 

保守とリベラル。そのキーワードはこのミュージカルを通して、もうひとつ意味を考えさせてくれて。

べス役のおひとりは、生まれながらの王女さま的存在で。幼い少女らしさの役作りに腐心されてて。保守的な役作りというのかな、自分の演技プランだけで動いているので、周囲のキャスト全員が額縁でしかないというか、心が通い合っていないというか。

もうおひとりは、王女らしさを必死に習って身につけたばかりで、所作や気持ちのひとつひとつを丁寧に確かめながら、舞台のほかのキャストと一緒に空気の中に漂い、反応して呼吸して、探り続けてらして。

どちらが正解というわけではない。保守とリベラルのように、別の価値観があるだけなのかなと思えたのでした。ただ、肉体としての説得力は変わってくるように思うのだけど、でも観客のほうにも保守派がいて、支持も分かれるのかな。

 

ふーん。いくくんは昔は後者だったのに、今では前者の役作りになっちゃったんだなとか。(役を楽しんでるのかな?と気になってます)
かなめさんは状況と体調にあわせて、前者と後者を使い分けるよねえ、とか。

 

 

メアリー役も、これでWキャストの両方を拝見できました。

おひとりはベスとの対比という意味でイメージぴったりで、説得力が格別。もうおひとりはそこを必死さでカバーしてらして、けなげな悲しさが格別。

保守派メアリーにロックを歌わせちゃうのが、リーヴァイさんんのすごさだなあ。ん? 今どきはロックは保守分野なのか? 

 

 

長男ヘルと新規アルくん(わかる人にしかわからない符号ですネw)が並んでると、某作品での世代がズレてて共演はしてないのに、勝手にお風呂場のシーンが妄想されて、内心大爆笑☆ スケールでかい奔放なシーンになりそうだわぁ。 

 

 

作品は初演から歌もテキストも大幅に刈り込まれて、テキストとして正解に近づいたような気がします。
べス、そこで叫ぶか?みたいなのはドイツの感性なのかしらと思う箇所はある。

 

アンサンブルさんたちが、もう少し壊れてエネルギッシュだといいのになあ。と実は思っています。テーマソングを歌いながらべスを見送るシーンが、秘めた情熱や怒りを内蔵する民衆の祈りになったとき、作品が別の意味をはらんできそうな気がするんだけれどなあ。

 

 

ちなみに。少女趣味的な妄想があって。
ロビンはおそらくウォルター・ローリー卿あたりのお気に入りの従者になって、べスと再会しそうだな。

  

 

『パジャマゲーム』

(わははは。今日ブログを書かないと9月が終わってしまうことに気づいたよ~)
 

夕べは友人くり が出ているミュージカルに。めちゃいいお席で見せていただきました。だけでなく、大好きな役者さんたちがほかにも何人も出てらして、終演後に楽屋口でくりと撮ったお写真、わたしはお地蔵さんみたいな笑顔だった。わたし、ずっとこの顔で舞台を観てたのかしら???

 

ちいちゃんがもーかわいくてかわいくてかわいくて☆コケティッシュ

フラメンコ?のステップをきれいに魅せてる箇所があり、いろいろな栄養がつみかさなって今があるねぇとキュンとする。

ちいちゃんが真ん中にいるミュージカルコメディ、観たいなあ。

 

三男ヘルヘル(←あははは。わかる人にしかわからない符号)もかわいくてかわいくてかわいくて☆

このコの持っているマイペースなしなやかさとリズムが大好きなんです。

 

あち姐さん(同い年だけどw)もぴちぴちのコケティッシュ
演出のトムさんは、女性をかわいく魅せるのが上手だな。

いつかあち姐さんの、真っ向勝負の重~い芝居を観てみたい。

 

くりは、ダンディで生真面目なコメディアンぶり。まさかの光枝さん路線キャラも秘めてたか。

(ちなみにこの日はワンコの具合が悪くて速攻帰宅!のため、楽屋口で差し入れ渡して面会はおしまい。そういうワンコ優先のパパぶりもくりらしい)

(ちなみに差し入れは、みなさんで食べてねのお菓子と、くりの次の次?の舞台のための秘蔵資料音源。わーまさかのコレ?ってヤツです)

 

 

そして最近のミュージカル、アンサンブルさんがめちゃくちゃ素晴らしいことが多い。プリンシパルよりも個性を発揮して舞台の熱量を作ってる。

特筆しようとしたけど、みなさんラブ!としておきます。

まぁ、クラシカルなコメディの場合、主役とその周辺は、逆に超典型的なキャラを求められるのだろうから(今さらコレ?と)逆にむずかしいのかもなあ。

 

某劇団退団直後のトップ男役さんは総じて、周囲を無視した自分だけのお芝居に走りがち(と、差し引いて観るようにしてる)だけど、
この舞台では相手役のニーロさんが(たぶんすごい努力の)いいエスコートぶりで、なんかいい方向に転がりそうな印象でした。

 

ニーロさん自身は、前半にもう少しぼんやりした甘さがほしかったかなあ。クラシックなラブストーリーだし。

 

 

観る前は、なんで今さらパジャマゲーム?と思ってましたが、楽しかった。アップテンポと振り付け次第で、大昔のミュージカルも蘇るね。

 

新・日本青年館ホールは、舞台の間口が広すぎて、スピードを壊さずに動線移動するのが大変そう。日本によくあるホール(劇場じゃない!)の音で、ひらべったく聴こえる。

客席は見やすかったです。(前から五列目センターだから当然?)

 

 

そういえば某劇団四季の社長と副社長が観に来てたらしい。えー会いたかったかも。

このエライ人たちをおばさんたちは小僧扱いしそうだけどネ。

『四月は君の嘘』

今晩空いてますか?とラインが来て、予備知識もないまま、渋谷公園通りを上り切ったとこにある、初めての劇場に連れて行ってもらいました。

 

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タイトルだけは耳にしたことがあって、ステキだなぁと思ってて。

 

クラシックをネタにしたマーガレット(雑誌名です)系の少女まんが王道学園ものの胸キュン、と思ってずっと観ていましたが、最後に少年マガジン掲載とテロップが出て(前後に映像使ってタイトル、キャスト・スタッフ名が出たんですよ)、びっくり。

まんがもだんだんユニセックスになってきたか? 

 

 

2.5次元ミュージカルはあるけれど、2.5次元音楽劇?ははじめてで。

キャラたちがピアノやヴァイオリンを弾くとき、別にミュージシャンが出てきて演奏し、キャラたちは所作だけしながら台詞をかぶせる。というのはアイディアでした。

 

ちなみにピアニストさんはキャラ3人分の音質を弾き分けたり、主人公が弾きながら内面がズタボロになっていくのを表現してたり、大奮闘。

ヴァィオリニストさんも音質がキャラそのもの、と思ったら、これはご本人の音質がヒロインと合ってたみたいでした。

 

えーと。「演劇」というカテゴリーからすると、台詞も演技も演出も邪道なことがいっぱいで。でも、これはこれでありなのかなぁ、とも。

映画やアニメを見慣れているせいかな、舞台を観ている醍醐味は薄いけど、違和感はないのです。

 

と、思いながら、楽しめたのは1時間くらいまでで。

 

後半の1時間は、

仕上がりがかなり雑であったこともあるけど、単調で説明的で空回りでだるだるでした。それでもクライマックスでは音楽のチカラを借りて、無理やりに盛り上げたのはえらかったかな。

 

舞台は、やっぱり舞台の方法論でないとダメなのかなぁ、とか思いました。役者たちと観客たちのからだや感性を、もっと信じてつくらないと。

 

たまたま数時間前に読んだ友人のFBで、

その日の一人芝居は観客がつくってくれた手ごたえだった。自分は何もしてなかった。というコメントを、思い出したりして。

舞台と客席ひとりひとりとの対話なんだなあ。そこを抑えないと、ライヴは成立しないんだなあ、とか。

 

と、めちゃくちゃ勉強になりましたよ。ありがとうございます!

 

 

そして、その公演回はミニコンサートがついていて。(何を意味するのかを邪推して、大爆笑!)

楽しみました! 〆めは個人的に思い入れの深いロンカプだったし!

このお二人のミュージシャンの事務所の社長さんが、大道芸のユニットをやってらして、その流れでお誘いをいただいたのです。 

 

 

さて、

誘ってくれたのはひとみんでした。ふたりでしゃべりだすと余裕で夜が明けるので(爆笑~)、それでもマンションの前まで送り、そこでまた立ち話モードになりそうなのを振り切り、

 

時計がてっぺん超えてから、帰宅しました。

 

自分のために?

小劇場系が公演中に、感想ツイートをリツイートするのはまぁ当然のこととして。
でも「ネタバレ」まで流しちゃうのはいかがなんでしょうね。

ブログとかと違って、勘弁してよ!と思う間もなく単語は目に入ってしまうわけで。

昨日観た芝居の、最初に出てくる謎(だったはず)の小道具、クライマックスの泣きどころのネタばらしを、前日にされてしまった。

 

とても楽しみにしていた舞台だった。

麦さんと浜さんが人情喜劇(歌舞伎台本)でおばあちゃんを演じたらしいよと噂を聞き、再演がありそうだというので劇団のツイッターをフォローして情報を待ち、チケットを買った。

そんな流れだから、前述の悲劇に見舞われたわけだケド。

 

思えばもぎりの時点から、身内以外の客には無神経な態度である予感はあった。日舞の発表会ロビーとかの、あの雰囲気。

落ち着け。好意的になれよ自分。と最前列の座席に座りながら思う。

 

ああやっぱりなぁ。劇団の持つカラーは舞台の傾向も象徴してた。若いコたちの一生懸命に、落ち着け。好意的になれよ自分。と言い聞かせながら、観る。

 

途中からはもう、

これは麦さんが、自分のやりたいことをやるための舞台、そのための劇団なんだから目くじら立てることじゃないよね、と考える。

そうなんだよなあ。客の心を別世界に案内するための舞台じゃないから、超名優がふたりも居ながらも、いらいらするんだ。自分がうれしいための芸術イコール他人の感動、であることは、とてもとても難しい。

 

この作品も。女性が演じたら女優の人生も投影されて、違う味わいがかもされたんだろうなあ。と感じる。自身が長年連れ添った男への献身とうっぷんを、一瞬で晴らす、昔風の日本女性としての快感と共感。

浜さんは頑張ってたけど、奥さまに恵まれた方だし、そんな情緒には届いてなかったような。

 

音楽が素晴らしくてね。アコースティックギター2本と邦楽打楽器(!)で、ジャジーに江戸時代を支えていました。鬼平+ジプシーキングスのあの路線。

小鼓が女の情念みたいに流れ、聴こえて、しばし感情がくぎ付けに。 

 

 

 

というわけで。

本編よりアフタートークに萌えました。すみませぬ。

邦楽打楽器の西川啓光さんと、麦さんと浜さん。(おふたりとも在団中から知的トークで鳴らしてました)

 

(ちなみに、このおふたりが昔、劇団四季でしたと言うと、客席がほぅとなった。ええっ? そうなんだ。。。。。。 まぁ、わたしは麦さんと書いてるけど、蜷川さんやディズニーの壌さんのほうが、通りはよい)

 

西川さんは、JC=Sの初演ジャポネスクや「象」の道行きシーンとかで四季にかかわってらしたそうです。と聞くと、もう他人には思えない~

能楽だと楽器が専門化されるけど歌舞伎では一通りをこなせなきゃいけないとか、小鼓は唯一、下から上へと叩く打楽器であるとか、

わ~ めっちゃキラキラしながらお話を聞いてしまう~

(あとから検索したら、ツイッターとブログはあるけど休眠中で。FBのお友だち申請、なんてできないし。活動フォローのご縁はないようだった)

 

麦さんが力説なさるに、

日本人は演劇の勉強というとロンドンに行くけど、RSCのスタッフに言わせれば自国に素晴らしい文化があるのに何故?と不思議がられると。

江戸時代(今でもじゃないかと思う)、東京周辺は世界一の劇場数を誇っていた。

だからご自分は日本の古典(近代?)を大切にしたいし、そのためのNPO法人としての劇団である。だから寄付歓迎、物販よろしく。

 

はい。お土産買いましたよ。

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(そういえば昔、ジョージさんからNPO法人として劇団立ち上げたら言われたんだけどと、みほさんから相談されたことを思い出した。で、ざっくり調べて。定期的に義務として公演をうち続けてたら生活がめちゃくちゃになるよね、と足がすくんだ。ふたりともそこまでの覚悟は持てなかったのよw)

 

 

 

わたしが思うのは、

日本演劇の過去も素晴らしいけれど、現在進行形の人たちはその上を模索してる。今、生きてる人たちの心を動かすための技術を、磨いている。 

ただ日本の演劇界の滞りぶりの原因は、住み分けの徹底で。自分ら以外のバフォーマンスを、自分らが最高じゃなかったと否定されるのが怖くてか、狭い視野丸出しに全否定はしても、勉強しないからなあ。

しょせん、村社会。ねえ劇団四季

 

わたしのように、四季と東宝日本劇作家協会と小劇場と大道芸とコンテンポラリーダンスに友人がいて、多少はかかわってるの、たぶん珍しいよね。そういうお友だち、ほしいんだけど出会ったことない。

ボーダーを超えるの、飛び込んでいくの、別に難しくないんだけどなあ。

 

ものをつくりたい側の人間なら、ときどきは自己否定されること、すごくキツイけど大切だよねえ。でも日本人はここが苦手なんだよなあ。