昨日観たダンス作品についての、自分の覚書。
出来の悪い物まねの羅列。
(学生によく見る)マスターベーションのグループ展。
この作品を芸術として売れと言われたら、こうなるか。
「求道としての芸術」の否定。
無意味であること、だが何となく驚いてほしい、振り向いて欲しい という 孤独な痛み。
……なんとでも言える。
からだとの「会話」も「追求」もなく、刹那に驚いてほしいだけのタイプのダンサーが行き着く先の自己表現は、自慰か自傷行為か? とか考えながら見てたんだけれど。
(実際、後半になると、ホースや布で首を絞めるモチーフは何度かあったし)
そういえば、天才ニジンスキーは表現として自慰を見せて、賛否を巻き起こしたんだっけ?と思い出す。
ニジンスキーの伝説はいろいろとあり、何よりも映像がないので、人の噂としての評価しか残っていないわけで。
わたしはといえば『牧神の午後』はヌレエフの映像の印象が強いので、職人芸とエロティックの粋としての存在だと思い違いしていた節もあり。
わからんな。 昔のことは。
思い込みしてる可能性に、留意しなくてはな。 と思った。