あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

暗黒時代

友人がSNSで、『桜の園』を日本初演のオリジナル台本(チェーホフが脱稿した原稿のままの新訳。世に出回っている初演時の改稿版でなく)でやると息巻いている。

 

えーと。とわたしは思う。

その昔、劇団四季も海外から演出家を招いて、そんなことを言っていたような。いなかったかなぁ。わたし自身はその当時から現在まで、チェーホフのおもしろさがとんとわからないので、興味が薄い。

(浅利さんがチェーホフは喜劇(悲喜劇?)作家だとおっしゃってた。それは覚えている。あ。今考えると、なんとなく納得するな)

 

念のため「桜の園 四季」で検索をかける。ヒットはこれ↓↓と劇団サイトの目録ページのみだった。

 

 

うん。このパンフを買って読めば、真相がわかるかもしれないけれど、そこまで親切じゃないしw 友人が意気込んでいるところに水を差す必要もないし。

 

 

こうして。

ネットに載っていない情報は、埋もれていくのだなぁと、少し感傷的になる。

 

 

 

 

その昔。

歴史的な発見!とかと新聞記事に書かれた昭和天皇侍従の日記だか手帳だかの存在を、わたしはとっくに知っていたことがあった。え。なにを今さら? 新聞もしょせん、人が作るものってこと?

この手帳の記述をもとに、津川さんが『プライド』という映画の中のワンシーンを書いてもらったと聞いてたのだ。(東条さんが、陛下から存在を否定されてたと知り、愕然とする)

ただ当時は、わたしがエクセルを使えるというだけで本部に引き抜かれるような時代。ネットは、ささやかな展開でしかなかったし。内輪ネタは内輪しか知らなかったわけだわね。

(今、気が付いたけれど。その日記を読んだことを、公にしてはいけない約束だった可能性もあるわね)

 

 

 

つまり、20年より昔の、ネットの存在しなかった時代の情報は、こうしてほとんどが闇に葬られていくのだわということです。

そして、20年くらい前からこっちは、自在なイメージだけでは物ごとを語れない時代になったってことだわね。

 

 

 

 

 

回帰

父(91歳)が府中あたりで見知らぬ青年に道を尋ねたら、わざわざ車で送ってくださったそうだ。まだまだ世の中、捨てたもんじゃないな。とか言う。

 

わたしは、その日乗った高速バスでのことを話す。

通路側の席だったので、自分のついでに、荷物の多い隣の方に、どれか棚にあげますか?と訊いた。大丈夫ですとのことで、座る。

と、通路の向こうの席でも、通路側の方が荷物を棚にあげますか?と窓際に訊いている。会話は伝播するのだな。

今度は、わたしの隣の席の方が、天井の送風口の向きは大丈夫ですか?とわたしの世話を焼いてくださった。ありがとうございます。苦手なので閉じたいです、とかね。

斜め前の席では、シートを倒していいですか?と、笑顔でていねいに訊く方がいて。口調は伝染するものなのだった。

 

父が言う。それは、昭和の初めころの会話だな。全員が見知らぬ人同士でも、当たり前にそんなふうに話してたなあ。

そうなの? とっても居心地がよかったよ。こんな会話が失われたのは高度成長期のせいかしら。アメリカから個人主義が輸入されて。

かもなあ。

 

 

失われたものが、人々の間に甦ろうとしているのは、

震災が続いているせいかしら。

経済と利便性が優先される社会の反動が、ようやく起こり始めているのかしら。

グーとパー

日本人の演じるミュージカルがわたしは好きだ。

 

と、言葉にする機会が今までなかったな、と気づいたので、書いておきます。

実は数十年前にブロードウェイやウエストエンドで、いわゆる「本場の」ミュージカルを観たときから感じてました。勇気がなくて、とても、言えなかったけどw

来日組にいたっては、ほぼ論外。

旅先で、いよいよ雑な芝居してるなぁと感じてしまうことが多いので。はい。なので最近は、まず観ません。

 

そうです。欧米人のパフォーマンスは、パワフルですが、大味なんですって!

日本人の演出や、演者の佇まいの細やかさに見慣れてしまうと、あーゆるぎない「石」と「肉」のの文化の人たちなんだなあと感じます。

でもなぁ。わたしは「紙」と「ゆば」の繊細さのほうが、肌にあうわ~

 

(と書いたあたりで、ふと。じゃんけんについて思い至ります。

石よりも「柔でも不定形で包み込める」紙のほうが勝ち。として疑問をもたない日本人の感性ってスゴクない?)

 

 

あとね。

 

昔は、日本でもミュージカルのロングランができるような(石の?)文化にしたい。お客さまを育てたい。とか考えてましたが、最近はね。違うの。

1・2か月で演目を変える美学みたいなほうが、日本の文化らしいのかもしれないって気がしてきたのですね。(演るほう創るほうは、めっちゃ大変なんだけど!)

 

日本の神事は本来、木の下とか大岩の陰とかで行い、終わったらすべて取り払って無に戻してたんですって。神社とかを建てるようになったのは、仏事(お寺)の影響なんですってね。

それを考えると、多少は粗末な仕立てでも、いい加減な出来でも、次々といろんな演目を流れるように展開していくほうが、紙の文化として自然なのかもなぁ。

ま。そんなことを考えたわけですよ。

 

 

技術とか自在な発想とかはね。欧米に学ぶべきこと、まだまだたくさんありますけどね。

 

でもね。わたしたちの理想形は、自分たちのからだの中にありそうですよ。たぶんね。