あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『天神さまのほそみち』

燐光群 @ザ・スズナリ

別役実 作  坂手洋二 演出

 

コロナで劇場閉鎖後、初めての観劇! 

ヘアスプレーやらふぉ~ゆ~やら、ここまでいくつの屍(失礼)を乗り越えてたどり着いただろう。

 

検温のために劇場前で間隔あけて並んでるときも、すでに、ああああって感覚だったし、なんなら前の晩からそわそわどきどきしてたわけだが、

アルコール消毒して、合図を待ってからひとりで階段上って、ビニール越しに、受け皿越しに受付をして、

まばらな椅子に座り、静かに開演を待つ間、洗練された美術を眺め、小劇場の最前列だというのに舞台までは2メートルの距離があるわけで。そうして見渡せる舞台が美しくて美しくて。

あーこれから演劇が観られるのだと、うるうる泣きそうだった。自分が泣きそうだという状況に、また泣けた。

 

(で。最前列だったので上演中の、すかすか客席の反応や熱量がどんなだったかは、わかりませんでした)

 

 

3.11直後も最初に観たのは燐光群だったと思い出す。これは偶然ではなくて、燐光群というのがそういう立ち位置、率先する活動をする劇団ということなんだな、とか思う。

 

 

別役さんのシュールコメディ(不条理劇)で、こんなに笑ったのは初めてかも、というくらい笑った。燐光群を観るのも久しぶりだったせいか、それとも役者さんのほうにもやっぱり思い入れがあったのか、

軽やかなお芝居の中に、以前以上の厚みを感じた気がする。なんだろう。ぱすっぱすっと、居場所に当てはまっている感じ。上質で大騒ぎで一貫したハーモニー。

 

あとね、役者さんたちの佇まい。これがなんともいえない、昭和前半の祭りの風情を香り立たせてた。

 

そして観ている側の自分が、いつもよりオーバーアクションで笑っているのに気づく。マスクしてるせい、だと思う。

不条理劇ではね、より観客の反応が役者の背を押すって感覚をわたしは持っているから。笑っている、喜んでいる、頷いているという反応を、示したいと感じている。(最前列の真ん中だし)

 

役者さんのおひとりおひとりが愛しかった。くだらないことで、人間のチカラ関係がくるくる変わる。え、こんなはずになっちゃう? いやいや、だからぁ! あー。

別役さんのホン、すげえな。

 

 

 

8月から映画館はフル稼働になるんだって? それでクラスターがでなければ、少しずつ客席の密はあげていけるのかしら。客席がこんなで採算大丈夫?と、わたしはそっちのほうがハラハラしてしまう。

不安な方は劇場に来なければいい。自分は管理できてると自信をもてる人たちが、来ればいい。

 

誰もが横一列に平等で、同じ権利を有すると考える時代は、終わるのかしら。

自分の考えに添って、自分の行動をセレクトする。おや、書いてみたら当たり前すぎて笑ったわ。でも、

実はそうではない社会になっていたってことなのかしらね。

 

ぐるぐるぐる

すみません。さっきからワンフレーズが自分の中で繰り返されて先に進まないので、

ここに書かせといて。え。文句ある? (笑

 

わたしは高校生の頃、誰もが自由にもの言える世界になればいいのに。と考えていた。

でもそれは、絶対に、今みたいな世の中のことではなかったよ。

 

 

 

 

 

そうか。リツイートされて書かれたコメントは、わたし以外の人からはみえないのね、とさっき気づいて。ええ、ムカついてますがナニカ。そんで、カウントあっていないけど、これはどんなトリックですか?

 

赤の他人さまにそんなこと言われる筋合いないわ。って内容を、赤の他人に吐くって失礼と、

誰もが自由にもの言える世界。

の間には、どんな溝があるのかしら。今言えるのは、礼儀知らず?

 

 

 

 

 

不安なんだよね。生きることが。たぶん。と思う。

だからいろいろ許せない。許せないから、どんどんルールばかりが重ねられ、細かい視座に縛られ、結局他人ではなく自分を縛り上げてく。

そんでいよいよ、あっぷあっぷ。結果、赤の他人を攻撃したい。のかしら。

 

でもそれは、自分で決断していないからじゃないの? 自分のせいだと考えたくないから、他人のせいにしたいのでは?

とかに、わたしは行きついてしまうの。ごめんね。わかったようなこと言って。

 

はい。ウッカリ返信ツイートしないために、ここに書いてます。ごめん。読んでくれた人。

(ちなみに実際しかねなかったであろう返信内容とは一致してません)

 

 

 

 

そうそう。

 

わたし、ずっとコロナ「渦」だと思い違いしてました。「禍」だったのね。ひょんなことで気付かされました。ありがとうございます。コロナ禍。あー恥ずかし。

(会話ではコロナカ言ってたから大丈夫!) 

 

 

で、その、「新しい生活様式」の先について。

人は3パターンに分かれるかもしれないと、考えてたりします。

 

情報に飲み込まれ、ただただ恐れおののき、お上の言う通りの正義警察となる人たちと。

自分で情報を読み解いて、自分で判断して、自分なりのやり方を見つけていく人たちと(行政に頼り過ぎない?)。

何もなかったことにしてやり過ごそうとする、今までと変わらず無関心に生きていく人たちと。

 

割合い? わかるはずもない。

 

できれば早く、みんながそのことに気づいて、住み分けるというか、相手の選択を「理解できなくても認めてくれる」と、いいんだがなあと思う。

でも自覚した時点で、いがみあっちゃうかなあ。

 

今でも、街で電車でマスクしてない人がいるよ、恐ろしや、ってSNSに書きこまなきゃ気が済まない友人らが、何人もいるしね。

 

 

 

 

夕べ、もうおとといか。

夜の小雨。人けのない茶沢通りで。

すれ違おうとする男子高校生が、ふっと緩んだ。たぶんわたしも、同じ表情をした。

 

わたしたち、どっちもマスクをしてなかったの。(わたしは傘を持つ腕にマスクをかけてました)

外出時でも必要ないマスクははずすという選択をしてるだけで、「同志」になっちゃったかも。

 

で、なにがしあわせだったって、

文字通りに袖触れ合っただけの、見知らぬかれのステキな笑顔が、フルで見られたってことよ! あー久しぶりって思っちゃったわ。 

 

 

戦うでなく逃げるでもなく

コロナ渦のなか、いろんなことに辟易しているうちにブログを書かなくなり、3か月近くたってしまいました。そして今日、流れの中で自分の気持ちがひとつ切り替わったので、書き落としておこうと思います。

 

これはあくまでも個人の考え方です。

みなさんに推奨します。同調してくださいという類ではないし、反論お待ちしています、でもないです。コロナが怖くて身動きできません!という生活を送っている方々に疑問反論するものでもありません。

わたしがひとりでこうしていこうと静かに思いついただけだと、まず書いておきますよ。

 

それと。

病弱な方、社会的に必要とされている方々は真似しないでください。

わたしは自分が、社会的にはそんなに必要とされてないほうかな?と思い、だったら自分の役目だなと考えたのですから。

 

 

さて。

現在わたしの中の一番の危機感は、「このままでは文化が崩壊する」です。この場合の文化は主に、舞台芸術と大道芸フェスを指します。(美術館は条件付きで解放されましたので、そっち系の危機感は消えました)

そりゃ、どちらもいずれは復活するでしょう。それは疑っていません。でもそれはいつ? なにを判断基準として?

 

舞台芸術に関して言えば、最大手株式会社劇団がクラウド・ファンディングを始めちゃったけど、もちろんそれは自由なんだけれど、その他のプロダクションにしわ寄せがいかないかしら、とかね。

だからいろいろと、ぐずぐずできないんじゃない? もっと早いそれぞれの復活が望ましいのでは? という感覚があります。

 

 

 

大道芸フェス2020に関していえば、主なところで今年の開催を中止していないのは、わたしの地元の三茶だけになってしまったようです。(ほかにもあるかな?)

もちろん三茶も様子見保留であり、決定しているわけではありません。

 

大道芸なんて「めっちゃ換気のいい場所」の開催なのになあ。

 

でね。昨日、渋谷を通りかかったら。

都知事選の選挙演説に、何人もが人前で。大声を出しつばを飛ばし、その前にはそこそこ人数の観衆や取材たちが密に群れてる様子を拝見しまして。あー都の自粛解除はこれに合わせてだったの?とか考えたわけですが。

 

 

だったら大道芸してもいいじゃんねえ。

観客はマスク着用、芸人は陰性確認する。そういうシステムをつくれたら、あとは何?

 

群れても安全という「実績」?

 

 

 

さて。

SNSに書いたのですが、昨日はこんな感じで過ごしました。

今日は友人と電車乗ってランチして美術展観て電車乗ってお茶して買い物して夕飯食べて満員電車に乗って帰ってきました。食べてる以外ずっとマスク検温2回たびたびのアルコール消毒。話題の半分はコロナ渦のあれこれ。さて結論は?

今読み直して思ったけど、正確には、結論は?じゃなくて一週間後の結果は?でしたね。 

 

たぶん世の風潮としては、自粛解除しても気を抜くなぁ!というご意見が主流なのでしょう。でもわたしは、

「ルールを守って大いに行動する」側になろうと思います。

 

これはある意味「検証」です。必要のないルールに縛られて、必要以上に怖がり、責任回避を理由に可能なイベントを中止にすることを避けたい。

そのために起こす行動です。

 

 

もしかしたら自粛解除も。安全の保障ではなく検証なのかしら?

 

 

 

つけたし。

さっき仕入れたネタでは、マスクにミントスプレーすると清涼感が得られるとあったので、あとで試してみます。

 

 

数値化の説得力

以下の長文は、半ば愚痴だな。知ってほしいというより、わたしが書いておきたいだけかもです。

 

 

多摩美校友会で理事をしている。今年で4年目。任期は8年。

 

先日。次年度に向けて、わたしは自分らしくない選択をした。昔の自分だったらたぶん、両方がんばったんだろうなぁ。え、これでよかったのか?と、ときどき思い返すが、胸に手を置いても、後悔している感触はない。

そんな自分にいくぶん戸惑っている感は、ある。

 

 

Facebookのおかげで大学のサークルの友人たちと再会し、その後もときどき一緒に遊んだりして。で、その中の何人かが、母校の校友会理事をやってたわけだ。

友人のひとりが手掛けてたのが、「出前アート大学」。地方の小学校に出向き、著名な卒業生が講師となり、特別な図工の体験を提供する授業。なにそれ楽しそう。わたしもやりたい!

 

奇特にも理事をやりたい!と口走った後輩を逃すテはあるか?と、やさしい先輩が奔走してくれ、執行部による面接という運びになった。(ふつうは面接なんかやらないらしいんだけど)その席で、「出前」事業は希望者多いし、ほかの部署になってもいいかと問われ。まぁそこは勢いで、はいと応えたわけだが。

 

まじ別部署に配属された。

あそこで返事しちゃったしなぁ。仕方ないか。

「出前」の会議にはオブザーバーとして参加させてもらいながら、きちんと「グループ活動助成金」の事業と向き合った。

 

でさ、まぁね、いろいろあった。当時の会長に振り回されて。かれがやりたいという新事業についてのレポートも書いたし、ただ、そこでひっかかったのが、ほんとにそういうニーズあるんですか?という疑問。会長がそう思い込んでるだけじゃなくて?

そのあとのすったもんだは、書くと長くなるので、また別の機会に。とにかく、その計画は頓挫した。させた。

 

 

次年度。こちらにお伺いもないまま「グル助」委員長を任された。え? あ、でもそういうことになるのか?みたいに受け止めて。(根が呑気です)

つまり味噌っかすみたいに扱われてる部署だし?ってことか。

 

引き継いだことを少しだけ発展させ、やれることをやった。気持ちばかりの(予算が低いんだもの)助成をしたグループ展に、できるだけ出向いて、個人からの話をうかがうとか。

そして、無理のない範囲でと、アンケートのお願いを始めた。卒業生たちの認知と、実際のニーズが少しは汲み取れないかなという発想で。うん。前会長の夢の実現は阻止したけど、想いはまずそんな形で、引き継いだってところ。

 

あ。同時に「出前」事業にも、掛け持ちで正式に参加した。この年は、地元小学校ひと学年に、大学の卒展を鑑賞してもらう授業を担当した。前例のない事業で、たいへんだったけど、楽しかったし、感慨も深かった。

 

 

今年度もいろいろ大変で。わたし自身そろそろ、ふた事業の掛け持ちがつらくなってきたのもある。他のメンバーみてても、理事なんてボランティアなんだから、無理したり、正業に支障が出たりしちゃダメでしょうとも感じた。

というのもあってか、先日、役割分担整理の意向アンケートがきたとき。

わたしは、

 

「今後、××××××××××××××の可能性等を視野に入れるのなら、【出前】の活動にかかわり続けるのは難しいかもしれないと覚悟しています。【出前】をやりたくて参加した理事会ですが、これも流れであると受け止め、卒業生たちの活動支援に回ります」と書いた。

 

昔の自分だったら、両方がんばっただろうにと書いたのは、このことです。

 

そっか。あのときのいやぁな感触を、断腸というのかもしれない。

 

3月の理事会は、感染予防のため当然、中止。かわりにメールを使った議事進行となりました。

ほんとに承認でいいんですか?と事務局長から念を押されました。わたしの「出前」活動愛は、浸透してたみたいですね。

 

 

 

 

そんなこんながありましたよ。

そして、表題についての実感は、この先なんです。

 

今年はアンケートの回答をまとまった数、得られたので、集計・グラフ化しました。卒業生たちの考え・感触が、少しは数値化・視覚化されたわけです。

わたしとしては、来年度の「グル助」活動の指針のつもりでしたが。

 

あれ?

 

いつのまにか、来年度校友会の主要事業に格上げされたみたいですよ。へぇ?

 

 

他の思惑からの流れも推量できなくはないですが、あの集計が説得材料として発揮した手ごたえがありました。数値化・視覚化・言語化、大切だわ。

 

 

というわけで、わたしの残りの理事活動が、路線変更してしまったおはなしでした。

 

 

 

でもなぁ。「出前」でひとつ、やり残したことがあるんだよなぁ。

今は「アート・デザイン」の授業としてるけど、そこに「パフォーマンス」を加えて、演劇舞踏からの授業をしたいのよねぇ。

 

状況によっては、うん。今後の状況によっては、だわね。

 

 

 

 

『サンセット大通り』稽古場リポートしましたよ

わたしの名刺には、LINEのQRコードを入れてあるの。

今回ホリプロさんのご依頼はそちらをたどってきてたし、なんならその後の日程等打ち合わせもライングループで、でした。時代だわね。

 

 

↓↓ こうしてみると、文字が多いわ。全4回では、足りなかったです。

 

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稽古場の片隅にひっそりにこにこと座って、メモをとる。スマホのシャッター音を立てない撮影アプリで、参考写真を撮る。まぁ、そのへんは以前と変わらず。

 

このあたりは記事に描けないナと自主判断する内容、実は山のようにある。や、ホントウはみなさんが知りたいのはそのへんだろうけど、それ描いちゃったら役者さんのほうが圧倒的にやりづらくなるから、ごめんね。

vol.4の2段目は、優也くんサイドのスタッフさんとたまたましゃべる機会があり、探りを入れたら否定されなかったので、過ぎたことだし、もういいよね、と記事にしました。(今回はじめて優也くんを知りましたが、楽しみな役者さんです)

 

 

稽古場リポートの目的は、販促で。その中で何を描くかは、わたしに任されるわけですが。

わたし個人としては、作品の楽しみ方の角度をふやしてほしい。なので、今回に限らず、演出家さんの出番が多くなる傾向はあると思います。あとスタッフさんとか。

 

今回、オケ入り稽古の日に、興味本位でごめんなさいねとギター奏者の方にお話を伺ってて。おおー。めっちゃ記事にしたかったんだけれど。

感染予防にむけての一段がなかったら、入れられたのに。

 

優先順位のせいで、描けなかったことも多いわ。

 

4本のギターを弾き分けてらっしゃってることとか。(その場で、音の違いを弾き比べてくださったの!)

後ろから見てたら。ある曲では、ずぅぅぅとお休みしてて、一音だけポロン♪と弾いて、またずぅぅぅっとお休み、とか。ウェバーの楽曲の厚みは、そんな贅沢さにもあるのだなぁと思ったし。

 

 

 

 

さて。

 

今回。リポートする自分が、実はめっちゃデリケートな立ち位置だと気づいたのは、2回目あたりからでした。

 

このミュージカルは、主演の固定ペアがWキャストで、特にノーマさま役のおふたりは、(たぶん)それぞれの解釈を大切にするために、お互いの稽古を「観ない」ことが前提になっています。

なのに。

わたしの稽古場リポートに期待されてたのは、ふたりのノーマの違いの言語化

 

せっかくおふたりが、相手はどういう人物像に組みあげてるのか観ないようにされてるのに、それを、わたしの記事がぶち壊すんかい。だれか、稽古場リポートは読まないように言ってくれてるのかな? や、言ってないよね、察するに、ええー?

 

表現に、悩みましたよ。そりゃね。もーかなりよ。この描き方だと、とーこさんは、めぐさんは、どう思われるだろう、うぎゃあっ、的に。

 

最終的に演出家さんチェックが入るから。を前提に、少しはみ出し気味にもっていって、でも思ってた以上に大きな修正はありませんでした。ありがとうございます鈴木さん。

 

 

 

実際の公演は残念なことに、コロナ自粛のせいで、半分も公演できませんでした。それでも、半分は公演できた!とも言える。(コップの水理論?)

 

いつかまた、このプロダクションで公演できますように。と思います。アンサンブルさんたちも個性派ぞろいで素晴らしかった(個別に拾って描きたかった)し。

チケット取ったのに観られなかった方々。ほんとに観ていただきたかったです。

チケット取ってなかった人、今度あったら観てね!

 

 

 

vol.3の副題とした「その愛に打算はあるのか」。わたしにとって、これは大きな大きな発見でした。

 

恋人に対しては、やっぱりどこかで打算の余地は残るけど。

芸術に対して、打算はないでしょう。ノーマやマックスの、いわば映画への献身に、尊敬を抱いた瞬間、わたしは震えたわ。

自分に対する正直。追求すれば世間からは、はじかれる。では世間の中でともに狂騒することが、生き方、か。そんな幸せをみんな夢見るわけだから、そうなのでしょうね。

でも、ほんとうの喜びに近づけるかは、別。

台本読んだだけでは気づけなかった。役者さんの肉体を通して、はじめて感じられたこと。

 

そういう揺れがね、やっぱり演劇の感動だと思うの。

 

 

 

たぶんこれから、時代や世間の価値観が大きく変わっていくと思うの。資本主義さえ揺るがすかもしれない。

でもその中で、演劇は変わらない。同じように素晴らしいはず。

 

大切に、愛していきたいわ。