京都の人は苦手だ。
わたしがこう思いこんだのは、高校生か大学生の頃。
TVで、京都の由緒あるお菓子が紹介されていた。仏前に備える前提で、いろいろな薬味を混ぜ込んだあんこものを、ごま油でじっくり揚げたので、半年ぐらいは優に持つという。
その味も未知ならば、食感も未知。由緒もすごい。
そしてそれが、なんと明日から、自宅(当時)近くのデパート(玉川高島屋SC)で販売されるというのだ!
次の日の昼下がり。買いに行った。販売員のおじさんは、京の言葉ではんなりつっけんどんに、売り切れです。とおっしゃった。それ以上の言葉なし。(子ども相手だと、軽くあしらわれたのも、あるかもしれないわね)内心むっとしながらも、もう入荷の予定はないのですか? と訊く。次の日だったか、その次の日だったかは忘れたけれど、もう一度だけ入荷するという。お礼を言って、ではまた来ます。
その日。ちょっとだけ出遅れた記憶はある。でもデパート開店30分以内ぐらいだったと思う。販売員のおじさんは、はんなりつっけんどんに、売り切れです。とだけおっしゃった。
そんなあ。TVで見て、スゴクスゴク食べたかったんですよ。まあ、みなさんがそうだったんでしょうねえ。どうすれば食べられますか? 無理です。
家に戻って、お店の人として態度が失礼じゃない?と母にぶちまけると、京都の人はプライドが高いからそんな感じなんじゃない? とか言われた。
はあ、そんなもんですか。
かくして。
その、たったひとりの方のせいで、その後何十年も、覆す人とも出会わないまま、わたしの中に妙にムカつくイメージが定着した。
(これを読んだ京都の方がいたら、すいません)
さて。
昨日はボランティアの帰りに、一駅逆方向に電車に乗って、お土産のお菓子を求めて日本橋三越へ。先日いただいた京都の阿闍梨餅がおいしくて、検索したらそちらにあるとの情報。ぐるりと歩いても見つからないので、コンシェルジュのおねえさんに訊く。場所を説明しながら、でもこの時間では残念ながら売り切れかもしれません。と言っていただく。(そうよ、この、「残念ながら」の一言が大切なのよ!)お礼を言って、お店ではなく各地の銘菓のコーナーへ。
阿闍梨餅はなかった。
その代わり、悪夢のように、くだんのお菓子が目の前にあった。TVで見たのよりずっとずっと小さいが、あのお菓子だ。
むっふう。
最後の1個を買った。
(あ。お土産には同じエリアにあった鎌倉のクルミッ子を買いました! これもおいしいよね~☆)
40年間忘れなかった、失礼な販売員さんトコのお菓子は、素朴な味でした。シナモンの生八つ橋をごま油で揚げた感じ。あんこはふわっとしてるけど、きゅっと絞ってある皮の部分が、めっちゃ固い。ここはかみしめて味わう。いろんな味と食感が楽しいお菓子でした。
そして時の流れを想う。あんなにもったいぶってたのなあ。
40年前のわたしだったら、新しいおいしさとして感激したかもしれないのになあ。
ん? 賞味期限が1週間後? 半年持つんじゃなかったの? んん? それともこれは、半年前につくられたものなのかしら?(まあ、今どきの食品管理ってことだと思うけど)
でね。このブログを書こうとPCあけて、ほかのサイトをふと見たら、悪夢のように!
このお菓子の写真が載っていた!! なんなんだ?
わたしの気持ちは、すでに記事中の高野のアップルパイに飛ぶ。高野のケーキは間違いないけれど、アップルパイは食べてない気がする~!!!