なんか久しぶりに食べたくなって買ってあった6pチーズを冷蔵庫から一切れ取り出し、
コーヒーのマグの横に置いてぐるりと用を終え、こたつに座ってから。
まじまじと見てしまった。
昔はも少し、もっと厚みがあった、よな。
知らない間に、時代は、経済は流れている。さみしい方向に。
ぱくぱくと食べ、
しばらくしたら、
なんだかトテモ、泣きたい気分になってきた。
何故、大声で泣きたい気分なのか、チーズのせいでないことはわかっているが、
チーズのせいにでもして、わーんわーんと泣きたい気分なのだった。
泣いた方がいいのかな?と考え始めた時分で、もうすでに泣けなくなっているワケだが。
泣けない自分の奥のほの苦い重さをもてあまし。
どうやってウサを晴らそう。それともこのウサは晴らさないほうがいいのだろうか、と考える。
政治に、自分の手はしょせん届かない。
でもその中で、生きていかなくてはならない。(やめてもいいんだけれど)
昨日は、ひさしぶりに会った古いおともだちに、
わたし、実はずっとじぶんのことが好きでないのとサラリと告白されて。
(もう30年も)全然気付かなくてごめんねと、わたしは少しうろたえ。
もうひとりの友人は、でもこうして言葉にできるようにはなったってことだね(なんて冷静なんだ!)と応え。
かの女は自分のペースで、苦難を乗り越え、人生を楽しんでいると思っていたのに。
自分のことを愛せない苦悩――?
あーもーなんなんだよそれー!!と叫びたいが。
これから、静かに、かの女とどう向き合おうかと。かの女のペースに寄り添って、と。
ひそりと思う。大騒ぎは似合わない。嘘は通用しない。
大切に。
ゆっくりと。
そして。
時代にも、寄り添って生きるしかないのか?と思う。
としても、ナンカ、「負け」イメージになるのは何故かなあ。
これは今の気分だ。明日には、今日の夜には、また違っているのだろうね。
おかしい。
この歳になっても。迷ってばかりじゃないの。
ま。そんなもんだわ。