どなたか、わたしの乱麻を断ち切ってくれるとウレシイのですが。
ロシアンティーと言われて思い浮かべるのは、ほとんどの日本人にとってジャム入りの紅茶。 ここまではいい?
そのせいだと思うのだが、ロシアツアーのガイドさんがバスの移動中でのおきまりの話題みたいに話してくれたのが、「ロシア人は紅茶にジャムは入れません。 地方、というより人、によっては舐めながらお茶を飲みますが、多くはありません」
雑学度があがった日本人ツアー客はチョットうれしげに、へぇ〜とどよめく。
ところが、だ。
井上ひさし御大の遺作『一週間』を読んでたら、繰り返しジャム入りの紅茶が出てくる。 しかも楽しそうにシーンごとにアンズだのレモンだのとジャムの味が変わるサービスぶり。
1作を書くのに5千冊を読破すると言われる先生のことだ。 シベリア抑留者の話を書くのにインタビューも重ねていらっしゃるだろうし、
こんな簡単な手落ちがあるはずない。
「ロシアンティー」に「歴史」というキーワードも加えたりして検索するが、
どーもスッキリしない。
元留学生たちがカップにジャムを入れるのは「子ども」とも、「低階級層」とも書いてあったり。
(元帝国、元社会主義国、そして現在という歴史を持つ国における「低階級層」という表現には、胸が痛むものがある。 わたしだけか?)
レシピともなると、ジャムにウォッカやブランデーも加えるとおいしいとあったり。
ウオッカは○○はオススメだが、××はダメ、とか。
ロシアで紅茶を飲む際にジャムや蜂蜜を必要とする理由は、独特な紅茶の入れ方に発しているという、この情報は的を得ている気がした。
ので、そこから推理を辿る。
サモワール。
先日の旅行中、博物館や高級土産屋で初めて対面して、そうか、小説によく出てくるあの単語の実物はこれか!と感動したものだが、
ひとつの超巨大なヤカン(?)の中に、茶を煮出すエリアとお湯だけを温めつづけるエリアがあるわけで、飲むときはカップの中で煮出しすぎた茶をお湯で好みの濃さに薄めるらしい。
これが当然苦いから、ジャムや蜂蜜を舌に含んでお茶を飲み、からだをあたためたという。
今のロシアの生活に、たぶんサモワールはないから。
欧米流の紅茶の楽しみ方に近づいているのかな?
安価旅行中に出てきた紅茶はティーバックだったので、論外。
だが65年前はまだサモワールで飲んでたから、ジャムが必要だった?
歴史の中で食文化が変遷するのはあたり前。
うーん、スーパーに行ったとき、売り場を観察してくればよかった。
と、ここまで妄想できたのだが、裏づけがないのよ。
サモワールが出てきた小説はなんだったろう。 チェーホフの戯曲? トルストイ? ドフトエススキー? アガサ・クリスティ?
ジャムの描写はあったかな。
ちなみにイギリスでロシアンティーといえば、レモンティーのことです、とある。
これも発端は諸説あるみたいだが、ロシア風のもてなしを受けたヴィクトリア女王が命名したらしい。
あれ?と思った人がいると思うのだが、バブリーの頃かな、ポットで紅茶を入れるのが流行ったとき、紅茶にレモンを入れるのは日本人だけですと莫迦にされなかったっけ?ってね。
もぉ、わけがわからん!!
で、わたしの、中学生くらいのときの唯一のジャム紅茶体験。
紅茶の風味は損なうし、底に沈んだ白ッ茶けたイチゴジャムもカスだし、うぇっ。
ほーらね、気が済んだ?と母に哂われた。
以来、二度と飲んでません。
現在のお気に入りは、濃いめのフレーバーティー(ベリー系の甘いヤツ/フォションのバースディとか)に牛乳を入れてマグカップでたっぷり飲む。
[E:cafe]
似たような感覚で、ロシアンブルーという色についてのわたしの乱麻がある。
エカテリーナ2世が愛したブルーのことで、ロシアの空の色を指すんじゃないかと思うんだ。
いろいろとロマンティックな妄想が膨らみ、
だけど、
ネット検索でヒットするのはネコの「ロシアンブルー」についてのみで、これが膨大。
ピアフの『愛の讃歌』に出てきたよなと歌詞を調べたら、「ル シアン ブルー 〜」と読める文字配列。
耳で聴いて「恋人の瞳はロシアの空の色」とイメージしていた自分は、
自分は、
[E:crying]
[E:book]
で、『一週間』。 とても面白かったのですが、ですがわたしには、小学校の学級会の吊るし上げみたいな居心地の悪さがあったと白状しておきます。