あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

究極のパフォーマー

先日、某講座で一緒になった人から、話の流れで超クロスオーバーなセッションの写真などを見せてもらいながら。

そのセッションの写真の中には神楽舞がひとり、混じっていた。
赤い衣装に面をつけている。
かれのスタンスはダンサーなの? それとも神官なの? と質問することから始まって教えてもらったことは。

(念のため先に言っておくけれど、日本人の話ですからね)

かれはね、九州の山奥の小さな村で、時計もガスもない生活をしているんだって。
時間の概念のない生活をしているので、そのセッションのときも「じゃ明日は○時からリハね!」と言っても無駄なんですって。 来ないんだと。

普段は村の神社の神主さんや村の人たちの手伝いをして暮らし、
祭りとかになると、そのときだけ神楽を舞う。
どうやって食べているの?とわたしの隣に座っていた女の子が訊く。 
村の人たちがなんとなく、生活に必要なものを玄関前にいろいろ置いていってくれるみたいだよ。 
ひゃあっ!! マジ? 

そのセッションが好評でNYに行くことになったとき、かれは村祭りがあるからいけないって断ったんですって。
つまりかれにとっては、
アートを楽しむことよりも、人々に評価されることよりも、
村の人たちの平らかな日々を願って、
神さまのために踊ることが優先されるってことらしい。

わたしは、くわんと軽いショックを受けた。

神さまを楽しませる(鎮める?)ためだけのパフォーマンス。
それ以外の欲もなく人生の計画もなく。

奉げものとしての自分。 表現ではなく、トランス。

かっこいい、というか。
アートの原点、人間の祈りの原点に限りなく近い日本人がいるってことだよ。

そんな演劇。 つくれますかね。 どんな演劇だ?
でもすっごく原点なわけだから。 つくってみたい気がする。 無理かな。

 

で、
わたしにその話をしてくれたのは、超カッコイイ!見てくれ(笑笑っ)のパーカッション奏者で。
ジャンベってアフリカのたいこを、バッグも兼ねて担いで持ち歩いているような人で。
昔はパンクバンドのボーカルをやっていたけれど、ミュージシャンとして「評価」されることに疑問を感じたそうで。
今は山谷のバックパッカーの常宿に止まりながら、日雇い労働で金を溜めては、海外を放浪して、道端で即興演奏することが自分の表現なんだと。
(ちなみに、日本では大道芸はいろいろと制約があって楽しめないのだ。 コインを投げる習慣もないし、ヤくザさんが仕切っていたりするし)

わたしはいつもの知りたがりを発揮して、初めて触らせてもらったジャンベに喜んで、洪水のように質問・質問したものですから、どうやら気がある?とスッカリ勘違いされたようで。
(2度と会えないかもしれない人に興味を持つと、訊けるだけ訊いておこうとするトコがわたしにはある。 インタビューレベルを超えるほど芯までほじくって訊きまくる)

ジャンベ! デリケートで力強い楽器だと思われる。
ぽんっと1回、叩いてもらった音の温かな緊張感に、思わずかれの指の表面を触らせてもらったが、湿っていてやあらかいの。 固いと思った?と笑われてしまった。
プレーヤーの骨や肉と響きあって音になるっていうのかなあ。
ケニアの青い空、乾いて広々とした空気を思い出して、
この音が遠音をさして響いていったら、すっごく気持ちいいだろうなぁ、と。

で、件の勘違い(?)に関してですが、わたしの視線の方向が他にあると気付いた時点で(気付くの遅すぎ)ぱしんと席を立ちましたから。 そりゃ見事。

ミュージシャンって、ピュアで空っぽなんだなあと、感心。

わたしとしては、かれの出す音を一回聞いてみたいんだけれどね。
もらった黒い名刺には、手書きで「KARAS」と書いてありました。

 

こうしてみると、ダンサーとかミュージシャンにくらべて、
演劇っていうのは、ずいぶん冷静で分析的なんだなあと思う。

なんのために自分は演劇をしたいのか。
そりゃ、自分の満足のため。 自己満足。 
人間の本質の一端を映し出すエピソードの重ねを描いてみたいっていう。 
わたしの世界に触れた人が、思わず自分の本質と向き合いたくなるような。
明日からの人生を変えるまではいかなくても、
考えていなかったことを考えてくれるようになってほしいというか。
つまり他人の自己満足を啓発する、ツールとしての演劇???
そんなものなのか???
あぅ、また、わかんなくなってきた。

そのために、
どうすれば大勢の人を巻き込めるのか? というのも、最近のわたしのテーマかもしれないのね。
何が有効か。 
どういう形でみんなと一緒に遊べればいいのか。
これはたぶん、ひとりではつくれない答えなので、
この先、誰と誰と……に出会えるか?にかかってきてしまいそうなのかな。

観客のため、とか考え出すと、自分の重心がおかしな方に傾いてしまうのでダメ。
評価されるとか、職業にしたいとか、集客したいとか考えると
四季仕込みのノウハウがもたげてきて、迎合していく自分に塗り替えられてしまう。

えっと、「共感」「共振」。 このへんがポイントなのかなあ。

 

神楽舞に心動かされるのが、
自分の向かう方向にあるからなのか、
反対側だからなのか、すら、わたしにはわからないデス……。