登録したけど使っていないfacebook(実名登録のネット・コミュニケーション・ツール)を意識してから、あらためてmixiやブログなどのネット・コミュニケーションについてぼんやりと考えている。
できることには所詮、限りがある。
そろそろ弊害について、整理されるべき時期じゃないの?とか。
でも、整理そのものが弊害に直結するかな、とか。
人間関係は奥が深い。 ま、混乱を楽しまなくちゃ、かな。
「みんなで仲良し」という仮想空間。
ブログは、プライベートを自由に語れる日記のようでいて、実は
たとえば
甥と交わした「おとうさんには内緒ね」という会話は書けないわけで。
(そのおとうさんが読むので)
いや、それはそれでいいんだけれど。
人間関係というのは、なんでもオープンであればいいというわけではないから、
と改めて思い直したわけで。
秘密はわくわくの始まり。
マイミクの類というお友だちの連鎖も、ちょっと理想郷のようでありながら、
逆に閉鎖空間、選民意識的な一面もある気がするし。
自由な連鎖であるゆえに、
追跡防止のため
わたしは周囲にいる「ファンが膨大な役者連」とは、連鎖を持てないわけで。
稀少な例外として問題視されないんだろうけれど、ね。
秘密への侵害はいらいらの出発。
あと、
友だちの友だち(赤の他人)の書いたコメントも日々、目にする環境なわけだけれど。
先日、
ある数行のコメントに中に、知識としての間違いが2箇所あり、
だけど書いてる御本人はその道のプロ(わたしもプロだから指摘できる)で、
しかも友だちの友だちという赤の他人様だから。
それとこれは間違いですよ、とは書き込めない。 (システム的には書き込めるけど)
(ああ、昔のわたしだったら書いてたわね。
でも今年の目標は「普通の人の感覚を洗い出す」[E:wink]だから)
おとなの振りした礼儀を、他人行儀というのかと。
つまり。
「みんなで仲良し」という仮想空間は、所詮「他人行儀」の連鎖?
いや、それすらがありがたい幻想なんです。 こわさないでください。
そんなところか?