あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『TDV』の振り幅とか の続き

前回の文章、寝ぼけてたのかダメダメでしたね。 ま、いっか。
とにかく書いとかないと、もうすぐに(何時間後だ?)次の舞踏会なんだもの。
今日は、みゆと一緒です。 

で、続きですが。 (今日の文章もダメダメかもな)

     [E:japanesetea]

まず、副題にしたテーマから。

なんで『TDV』はこんなに他とは違うんだろうというこの夏の結論は、
振り幅の深さかなと思っています。

理性と獣性の抽出もそうだし、
馬鹿馬鹿しさと深刻さ、センチメンタルとシニカル、哲学とショータイム などなど。
いろんなバリエーションが極端から極端に自在に行き来し、
ひとつの作品の中で同居するなんて考えられないモノが
吸血鬼という括りの中で、さっくりとひとつの世界になっている。
だから観ているほうの揺さぶられ方が、
現実もつかの間の夢も、キレイなものも恥ずかしいものも、
ぐちゃぐちゃにシェイクされて。

理屈とか
お行儀とか
建前とかって「たが」がトンじゃって。 

極端から極端への感情エネルギーの渦に巻き込まれて。 いつもの「自分がなく」なって。

でもそこには、感じ揺れている自分は新しく残っているわけだから。
で、結構それは素直な自分で。 

たぶんね、それがクセになるの。

     [E:japanesetea]

教授がパンフレットに書かれたんでしたっけ。
ヴァンパイアの鏡に「映れない」哀しみ。
ヘルさまはこんなにキレイなのに、ご自分の姿は自分で見られないのか。
そう思うと、しみじみと切なくなります。
メイクするとか、服を合わせるとかって楽しみ。 味わえないってことだよねえ。

妄想はだんだんハズレていって、クコールさんがそういうヘルさまにしぶしぶ付き合って、
ふたりで過ごす長い長い夜って。
メイクとか、服を選ぶとか。
思い描くだけで、なんか切ない。

おお、チョットだけBL風か? (コラコラ)

ヴァンパイアって、写真には写るんでしたっけ?
ポーの一族』では鏡に映る意識を持てば、映れるんだった。

まあ、とにかく。 となると、ヴァンパイアにとって「姿絵」は、特別な意味を持ってくる。
見ることの出来ない自分の姿と向き合えるわけだから。

ところでわたしはとってもイジワルなので、
二幕一場の舞台一面の肖像画を、ほとんどは同じ時代に同じ画家によって描かれたように見えるが、それでいいのかな?とか思って眺めてます。
埃にまみれた歴史を感じさせる場面のはずだよねえ。 

ま、いいんですけど。

     [E:japanesetea]

疲れがだんだん凝っていく季節ですから。 
充分に、気を配って。 無理はなさいませんように。

     [E:japanesetea]

じゃ、またあとでね。      [E:happy01]