演出家の栗山サンが、「はい」と「いいえ」の間や、開いた手のひらと閉じた手のひらの間には、無数の感情や表現の襞がある。
というようなことをおっしゃっていて。 理解したようなつもりで聞いていて。
でも実際に自分自身に問いかけてみると、バリエーションのなさに、そりゃもう絶望!
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工房にまゆが入って10ヶ月。 一種の英才教育(ホホ、手前味噌)と本人のカンと努力という才能の結果、驚くほど伸びた。
そろそろPC画像処理で次のステップの課題を……与えたとたんに、躓いた。 いや、まゆ本人がというより、教えるわたしの方が、だな。
何がネックかというと、そうか、デッサン力の問題だ。 と気付いたのが、夕べのこと。
たとえば、上記風に言えば、「黒」と「白」の間には無数のグレイがある。 この説明は誰もが理解できると思う。 (で、美しい単色画は、ほんのちょっぴりの黒と白と、無数のグレイのバリエーションで出来ている)
でも理解できたからって、すぐに絵の具や鉛筆で100色のグレイを提出できるわけではないんだよね。
絵を描くということは、他のアートに比べてかなり言葉で分析されているんじゃないかと思う。 何をどうやって描くともっとよくなる、と理屈で教えられる。 それをどこまで縛って、開放するかとなると、センスが必要になってくるんだけれど。
今までは、それを使って能率的に「絵」を教えてきた。
でも今のまゆの中ではグレイのバリエーションが貧弱なんだと思う。 さあ、どうやって認識させよう。
それで結論は、鉛筆のデッサン画(静物画)をさせなきゃダメか?ということで。
社内のことなので、限られた時間の隙間を使い膨大な技術を覚えてもらわなきゃいけないので、つくづく過酷なんだが。
わたし自身も30年やっていない作業だから、手がどれだけ覚えているか不安なんだけれどね。 でもお手本を見せねば……な、あ。 うーん。
さっき、まゆになんとなく言ったら、ちょっと嬉しそうだったのが救い、か?
部屋を浚ってみたけれど、30年前の名残は6B、4B、3Bの鉛筆しか残っていなかった。 2B、HB、F、2H、5H、9Hの鉛筆と練り消しゴムと、ケント紙を買いに行かねば。
おっ、ちょっとわくわくしているか、自分?
上質で純白のケント紙に、固さの違う鉛筆で塗り重ね、こすり、線を立てていくと、
ある瞬間、なんともいえない透明な深みが出現する。
形を写していたオブジェの存在と写し取った平面が、なんとも愛しくなる瞬間。
と、ここまで書いて、気付いた。
美大生だった自分と、まんが家だった自分のプレゼン・ポートフォリオが2冊ある。
その中にはもちろん、受験用の鉛筆画を撮った写真も。
超恥ずかしいけれど、まず明日、これをまゆに見せますか……。
(さんざん見せてって言ったのに、ナンヤカヤと無視したじゃないかぁと、もの凄く大勢の友人たちに罵倒されそうだ。 今まで封印してきたので)
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そ れ で 。
「はい」と「いいえ」の間や、開いた手のひらと閉じた手のひらの間にある100色の感情や表現の襞。
こっちはどうすれば実感できるんだ?