昨日、シアターアドバイザー時代の友人と会い、
そのあと、ウマもひねれば、ああいう表現もありなんだなあ、と思いながら池袋の劇場から帰ってきたら、
ポストに、現役でシアターアドバイザーを続けている友人からのはがきが入っていました。
しかも「エクウス」の案内。
笑っちゃった。
そうか、チケット、余っているのか。 天下の劇団四季でもストレートプレイは辛いんですか。 (そりゃあ、ああいう客層の育て方をすりゃあ、ね)
わああ♡、ダイサートは日下さん? (もう、他の方がやっているかと思っていたのに)
だったら、行こう! 行かなきゃ!
日下さんの芝居は、わたしの演劇観のコアな部分をつくっていると思う。 (わたしの感性を育てた劇団四季のリーディングアクターですから)
この数ヶ月で激変したわたしの観劇感覚で、
日下さんを、
そして「エクウス」を 観ること(いっちゃんの劇団最後の舞台からだから、10数年ぶり?)は、
とてもどきどきすることだった。
「エクゥゥゥゥスゥ」 つぶやいてみるだけでも、どきどきする。
わたしに語らせたら、長いゾ。
昨今、自分の書きたいものの原点だと気付いてから、でもまだ一度も戯曲を読み直していない。
劇団四季の台本は、3分の2くらいに切り刻まれているのだけれど(腹立つが、上演時間を考えるとそーなる)、
今の四季の役者の表現力で観るのもどうかと思うのだけれど。
いんだよ、日下さんの台詞を聞きに行くんだから。
当日券売り場で「四季の会の会員ですか?」と聞くから、いいえと答えたら、ぎょっとした顔をされた。 正価でチケット買うことが、そんなに不思議なのか? (大丈夫か?)
ロビーに足を踏み入れても、すでにスタッフに知る顔はない。
昔の恋人と、心穏やかに会えてしまう寂しさが少しだけ、よぎる。
ここの客層も、独特のにおいがある。 お行儀がよくて、生活にそこそこの余裕があって、主張がない人々。
あら、小学生たちがいるけれど。
すっぽんぽんのおにいちゃんとおねえちゃんが抱き合うシーン、大丈夫かな。 何かを、受け止めてね。 わけがわかんなくてもいいから。
日下さん。
お年を召されて、ゆえになのか、ひと言ひと言ゆっくりとそれは丁寧に、言霊を発する。
そ、
ひと言ごとに確実に、魂が込められ、宿っている。 すごい。
観客に問いかける部分、
わきに退き、メインビジュアルを言葉で補う部分、
自分の悩みと対峙する部分。
たぶん、たぶんね。 台詞の届き方が違う気がする。
おまけに、最高なことに、
アラン・ストラングがよかった! とってもよかった!
共感できるというか、真剣に見守ってしまうというか。
声に表情があって。 表現が素直でわかりやすい。 役をちゃんと分析している。
20年前、アランはかなり精神が特異な17歳だったのに、
今、観ていると、少年犯罪の基本バージョンというか、ありきたりの日本の14歳だなと感じる。
怖いことかな。
自然なことなのかな。
そして今まで全然、気付かなかったことに、今日始めて気付く。
ダイサートは最後に、自分の苦悩と正面から向き合い、受け止めたわけでしょう。
かれは、自分の情熱を手に入れたってことにはならないのかな?
(舞台上の表現では、その可能性は潰されている)