至高の華 新作能楽舞踏劇 『鷹の井戸』
2010.6.26. 13:00〜 国立能楽堂
お能の無形文化財 梅若玄祥
タイム誌でアジアの英雄20人に選ばれたバレーダンサー 譚元元(ヤンヤン・タン)
コンテンポラリーダンスはご存知 森山開次
イエーツの原作をお能の台本にして、能舞台で地謡と囃し方をバックに。
装置もお能の形式で。
(写真は終演後、案内のおねいさんに確認してから撮りました♪)
でも、バレエダンサーはきっちりとバレエを、コンテはきっちりとコンテを、踊る。
融合していたというより、お能の懐に深く抱かれて輝いていた、という感。
森山開次さんの(もともと和とバレエをテイストに持つ)コンテが、バレエとお能を密に溶け合わせていた、とも。
文化としての違和感がどうというより、
最高級な人たちがリスペクトしながら緊張感を持って共同作業すれば、そんなモノは関係なくなるのだな。 そういう喜び。
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まず、感動したのが。
って、わたし、始まって、「序」にあたる部分で泣いてたんですが。
そ。 ドラマが始まる前段階で、です。
そこまでについてをこれから書くのだけれど。
ヤバい。 お能に対する感性が啓いてしまったのかも。
いや。 単に。
引きこもりの生活をしているので、感性が柔らかくなっているのか。
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まず劇場としての、国立能楽堂そのものに感動。
客席を囲む壁にぐるりと軒下?の意匠があり、中庭の雰囲気が作られている。
高い天井。 開演中の客電はぼんやりと薄明るく、天井は星空に見えなくもなく。 薪能をイメージしている照明なのか。
その中に磨かれた能舞台には、やわらかで輝かしい光が溜まって、夢心地の世界が丸くある。 四角い空間なんだが、丸い感覚。
ホリゾントにあたる部分の松の絵を、何故「鏡の松」と呼ぶのか思い出す。
演劇で言う第四の(見えない)壁にあたる部分、舞台と客席との間(玉砂利)には本来、松があるべきだがそりゃあ省略されている。 そのあるはずの松が映っているのが「鏡の松」だと。
橋掛かりは、遠近感の表現かもしれない。
世界に近づいてくるモノ、遠ざかるモノ。
モノが現れるということに、こんなにも神経を払っている演劇。
などなど、奉納としての芸の名残も含めて。
劇場そのものがすでに、神の宿る異空間な美しい美術装置なのだと思う。
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唐突に遠くから聞こえてくる少し枯れた笛の音は、風なのか。
トンという太鼓の一音は、鼓動の最初。
パ(ン)と高い大鼓、ポ(ン)という柔らかな小鼓が、重なる鼓動を引き継ぐ。
絡み合いながら、人のフクザツな想いに鼓動が打ち乱れ、高まり。
日本の原風景と心情を音楽によって、引き寄せてくる。
ところで、この大鼓サンが素晴らしい音。 小鼓サンはそれに慎重に温かく添わせている。
その妙。
もしかしたら、人の心の陰陽を「現して」いるのかしらンと思う。
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鷹の精(バレエ)の舞いがあり、(山岸涼子サンのコミック、この方をデッサンしているのかなぁとか思う)
井戸の守人である翁が出てきた。
光を宿している、としか思えない。 老人が静かに輝き、ゆっくりと歩いてくる。
そうか、長生きが難しかった昔は、年老いているということはそれだけで、尊敬に値することだったのかもしれないと思う。
今は失われてしまった価値観。 でもここには、その光がある。
6人の地謡が、おぅおぅと声を重ねる。 少しずれた男声。
そして。
世界はすべて、かの能面に捧げられていることを感じる。 無私の精神で。
演者は、からだも技術も意識も、「オモテ(能面)」に添わせている。
額から数センチ離れたあたりに声を響かせ(クラシックの発声に通じるのかな?)、命を宿す。
背後の音楽の持つ想いを、からだで共鳴させる。
囃し方も、「オモテ」の想いに意識を添わせる。
その背後の地謡。 ずれたハーモニー。 それは千々に乱れて沸き起こる翁の煩悩だったのか。
自己の表現、なんて、甘ったるいモノは、そこにはない。
あるべきモノ、創らなければいけないモノに仕える心。
それがお能だったのか。
というあたりで、熱く盛り上がり溢れた涙に、自分でも驚く。
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そのあと登場の開次さんは、若武者らしい白く凛々しい出で立ち。
コンテンポラリーダンスとは、シンプルで抽象表現の最たるアートのひとつと思っていたけれど、
このお能のあとだと、
少し無駄な動きが多いのかも、と感じてしまう。
ぴくりとも動かないで、世界と時間を引き受けている感じの「動き」のときが、ステキ。
そこがあるから、お能とも対峙できている。
朗々とした台詞。 あ、日本語がわかる。 笑笑っ。
相変わらず、謡いの日本語は拾えません。
会話している翁の台詞は、わたしには美しい音でしかない。
波動としての想いを感じようと、耳を傾ける。 (外国語の舞台を観るような感じ?)
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翁と若武者。
お互いを受け入れられない、対立の残酷。
そこに舞い降りる、あでやかな若い女。 (鷹の精)
男たちの困惑を、ばっさりと切り捨てる。
男たちは、千々に乱れる想いに身を引き裂かれ、
女はそんなものすらアッサリと、ひとつにまとめて受け入れてしまう。
だから男にとって女は(特に若い女は)、理解不可能であり、ジャッジメントなのかな、とか。
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