あとりえあげん

世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。 HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

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寝入り端に

ゆうべ、睡魔に落ちながら枕元にメモしてた。

 

(1枚め)
かいたいして ならべなおされた ことばのだんぺんは
とても 宇宙に にていた

ことばは息にのせて 風となり
ほかの人々に とどけることで
細い細い きらめく糸のような つながりとなり

くらやみの中の 細い細い
その きらめきと 新しく 出会うことで

人は きれぎれの宇宙を みぢかに かんじる らしい

(2枚め)
ひとは よごすもの くいつくすものとして 自覚し
けんきょに ならなくては

 

ゆうべみた芝居は、燐光群の『宇宙みそ汁』『無秩序な小さな水のコメディ』で。
どうやらその印象のようです。

 

『宇宙みそ汁』は、
主婦やがてワーキングマザーの現代詩集を、そのままテキストにして、
役者さんの身体能力で空間デザインした作品。

昔むかしは、詩人と劇作家が同義語みたいな時代があったわけだしな、と思う。
シェークスピアとか、ギリシヤ悲劇とか。
昨今の演劇では切り離されてしまったほうが、むしろ疑問か?

それを言ったらお神楽はミュージカルの萌芽だ。

情報の断片とリズムにこそチカラがあるのかな、みたいなことを考えながら、
ゆうべはねむりについたのですね。

 

そして、
海を汚すことについては、原発や工場の先に主婦の流す米のとぎ汁まで辿れるのかと。
そう勝手にイメージする自分。の持つ人間不信というベーシック。

そっか。
原発即停止運動をしている方たちは、人間を強く強く信じているのだろうな、と思う。
完全シンクロできない自分は、そもそも基本が、人間の持つごまかしようのない存在悪ゆえに希望している祈り、に裏打ちされている。
人間のきらめきとは、いかに儚くしたたかで大切であるかという実感。

 

『無秩序な小さな水のコメディ』
この場合のコメディはフランス語だそうなので、訳せば『芝居』になるのかな。
人は、死んでなかった、かな? 
(もともとの喜劇悲劇の定義は、登場人物の生き死にだけなのです)
シリアスな内容でもコメディと呼ぶフランス感覚の繊細さ(わたしが勝手にそう思っているだけだが)が、ちょっと好きな単語です。

ベンチのようにおいた椅子の上に、三人の役者がかさなり。
詩情ある言葉をつぶやくことで、くじらのとりとめない感覚が海の中に広がっていく。

作家にとってのくじらとは、神(超自然)への畏怖かも、と感じて。――神? 
あの作家が、畏怖? んんんんん?
人間のロマンティックに感動して、絶望しないですむのは、こういう部分なのです。