久しぶりな友人から電話。
主婦というのはたいしたもので、
会話の途中で「ごめ、長電話だね」と言ったら、「一時間、無駄話をしたいと思ってかけたからいいの」と答え、
そしてチャンと、一時間五分でサラリと切り上げた。 (この五分オーバーがポイントです)
自分で作ったルールでも、ぐだぐだに済し崩してばかりいる自分としては、そのウツクシサに感心する。
――ミナラワナキャナ――
話の流れで。
「気づいてた? あげんは自分で考えているよりも癒し系だよ」と言われる。
うん、知ってる。 と応えると、「知ってたんだ」と大笑いされた。
そりゃあね、とか、一緒に笑いながら、あれ?と思う。
えっとね、わたしは癒し系でも天然ではないので、実はいろいろとチョットわだかまりみたいなモノがあってね。 被害者意識に近いかな? 自分でも神経質すぎると思うんだが。
あれ?と笑いながら、
でも、ま、いっか。 はいはい、それでも。
とか思う。 わだかまってても意味ないしなー、とか。 気持ちがとっても楽になる。
あとになってから、かの女に笑い飛ばされたから良かったのか、
他の人だったら?とか考えるが、よくわからない。
ただ、
笑い飛ばしてもらって前向きにしてくれる友人がいることに、
感謝する。
そして、
四十年の付き合いになるのに、かの女に対して、こんなに純粋に感謝を感じたことがあっただろうかと、
少し反省。
先日、
大きな手術を迷っている方にウッカリと、
「手術が失敗したあとのことは、失敗してから考えましょうヨ」と言ってしまった。
すぐに、ウカツすぎたと気づいたのだが、
その方は大喜びで、「わかったわ。 決心したわ」ナンテおっしゃる。
ひゃーっ。
あの、えっと、あのね、と、あわてて打ち消そうとしたのだが、
もう全然、なんにも言葉は届かなかった。
最後のひと押しなことを言っただけだったのかもしれない。
ただ、行動につながる最後のキッカケや決心って、
自分の中というより、
外部から来るモノ、かも。 これがポイント。
だから他人は、友人は、大切。
最近、メンタルケアのカテゴリーとして書いている内容は、
自分の覚書みたいな部分もありまする。
今後の自分が変化する前の、原点みたいな感性やとまどいをメモメモ。
大震災のカテゴリーも同じで、
自分の状態や考えや気持ちの変化を、資料的に書き留めておきたかったんだ。