あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『R』を観た

2010.4.24. 17:30〜 帝国劇場

一緒に観たみゆと、
あそこの涼風サンがステキだったねえとか話しながら劇場を出る。
微笑みににぎわう人ごみの中、みゆはボロボロと泣き始めた。

「ダンヴァース夫人の生き様って、なんだったんだろう」

自分の人生の何と重ね合わせてしまったのか、知らない。 
けれど。
芝居が日々、技術とか方法論になってきている自分として、ずいぶんイタイ風景だった。
純粋な感動。 芝居を観るということ。

 

この日だってわたしは、自分の作品のキャストたちと演技分析してた稽古場から直行していたので、
あ〜、そこっ、台本の分析をしたいっ! もっと違う立ち上げ方ができるはず〜! 的な視線で観ていて。
違う違う、客の視線にならなきゃ(だって口出しできない世界なんだから)と思いながらも、
演出家さん、芝居のこの成長方向は少し損じゃない?(いいのかな?)とか、
細かったいくつかのファルセットが、何か(何なの?)に支えられた細くても強い発声に変わっていた驚きとか。
お、マキシムの気持ちの流れが1本にうねり始めた♪ とか。

舞台におけるオブジェ(道具のうちか?)の扱いの難しさ、とか。
(具体的に言うと、Rの虚像が崩れたあと、屋敷のカトレアがいつの間にかどくどくピンクになっている演劇的な意味がよくわからないの)

今だって無意識に。
みゆが、ダンヴァース夫人に肩入れしちゃった作品側の原因分析、とかしてるんだ。
(はい。 口出しすることではアリマセン)

かぁいくないよな、つくづく。 純粋な感動とは遠いよな。 + + 溜め息 + +
自分の頭からいろいろと振り落として、もっと舞台を楽しみたい。

 

作品が、特異なエネルギーを孕んできた気がする。
今までのミュージカルという分野が届いていなかった奥の世界。
ケレンすらが吸収されて、空気に変換されている。

世界観が、生き物になりかけている。

問題はそれが、
チケットの売れ行き=大衆性にリンクが難しいのでは?という心配で。
舞台というのは作品の良し悪しより、チケットの売上げという評価基準であるわけで。