あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『闇の子供たち』を読んだ

               梁石日 著  幻冬舎文庫

困った本を読んでしまった……。
ココロが、ぐらぐら。 
どんなにカッコをつけても、エラそーなことをほざいても、
わたしたちは所詮卑怯で、無力だ。 

といいながら、きっとわたしは明日も同じ生活を続けてる。 日本で。 東京で。
へらへらと。

他人を責める前に自分を恥じることくらいしか、わたしたちには出来ない。
語る権利などない。
泣くこともできない。 怒ることもできない。 

困った。

 

確か、元は倫理学だかの有名な大命題かナンからしいのだが、
わたしはル=グウィンの短編『オメラスから歩み去る人々』でつきつけられた。

その大都市の、豊かで美しい文明と経済の繁栄が、
あるひとりの少女の尊厳を無視した不幸な境遇と引き換えに保障されているものだとしたら、
そしてそのことを都市に住む全員が知っていて。 
でも誰も口には出さずに暮らしている。 楽しく幸せに。 ちょっとばかりの翳りを感じながら。
そして小説は、その都市から黙ってそっと出て行く人々の群れの描写で終わるのだけれど。

実際この地球上では。
大勢の子供たちの尊厳を無視した不幸な境遇と繋がった先に、日本の経済、東京の安寧がある。
わたしたちはなんとなく知りながら、意識的に目をそむけて、自分とは関係のない振りをして。
わたしたちは日本以外の東南アジアの子どもたちに、何が起こっているか知っているのに。
ル=グウィンの少女なんて、その現実に比べればぬるくて甘い不幸だし。

でも地球から、黙ってそっと出て行くことなんかできないんだから。

 

この小説がショックなのはね。
書かれていることの大半が、すでになんとなくは知っている内容だってこと。 
自分はそれを、見ない振りして何も行動に移してないってこと。
そしてこの先も、自分は今の生活を変えないと分かっていること。

所詮、自分は偽善者なんだ。
何をエラそーに。 ……書いているんだろう。