そういえば。
用があって父に電話をかけ、話題の最後に突然、
「ロシアのチョコレートってマズいな。 食べられない」と、ばっさり言われる。
はい、もちろん、わたしが送ったロシア土産のことです。
そりゃ、日本やベルギーとかのに比べればさぁ。
「にしてもなあ。 あれじゃロシアの子どもたちがかわいそうだ」
ロシアの子どもたちのコトなんて考えてなかったので、ちょっとドキリとした。
でも
電話を切ってから気付いたが、ロシアの子どもたちは日本とかのチョコレートを食べる機会はそんなにないだろうから、自分たちが不幸だとは思わないんじゃないのかな、とか。
世界の国で幸せ意識度が高いのは確かプータンだったか。
ただTVでこの国の様子を見たとき、知らないこと=幸せ感が高い ってことじゃないの?と感じた。 事実、教育を通して青年たちの間にインターネットが普及し、価値観が急激に変化し始めているらしい。
知らないままでいられた方が、幸せ。 満ち足りていた。
日本人が、自分たちがいかに幸せか実感できない原因のひとつは、情報過多にあると思う。
確かに、溢れる情報の中で、自分は〜できてないというリストが多すぎると、満足感がなくなるでしょう。 振り回されすぎ。 あと、身の程を知らない?
情報は過多だけど、見極めは苦手、なのもあるか。
知らないままでいられた方が、幸せ。
それともやはり、ロシアの子どもたちはおいしいチョコレートの味を知るべきなのだろうか。
わたしには。 知る喜びという不安な飢餓感も、幸せ、だ。
知らないままでいることも、幸せのためには大切。
知らないままでいることを不満に感じて、不幸と不安と未来と向き合うこともまた、ある意味幸せ。
そう言えばこの歳になると、アレらはこのままわたしが黙ってお墓に持っていくんだろうなぁというような何件かが、でてきますね。
埋めていくべき真実というものも、この世にはアリマス。