さっき、なんとなくついてたTVで、アサダマオの特集をしてた。
異例に長い45秒のステップを情感豊かな見せ場にして優勝したというのは、世の中では有名なコトなんでしょうか。
(うといです [E:coldsweats01])
その45秒は、古い古い映画のワンシーンをイメージして作られているとか。
古めかしいドラマティックな名シーンは、感情の垂れ流しそのもの。 よろめくオンナの後ろ姿が次々と館の扉を開いていくのを、毒を飲ませた亭主とカメラが追うってのがカッコイイ。
音楽にのせて、
フィギュアスケートの選手は冷静に技術を魅せている。
表現という感情操作は動作のトリガーでしかない。
なのに、
祈りのようなものが伝わってきて、胸が熱くなる。
感動しているのは、表現されている感情そのものではない。
(観ている人によっては、どう捉えるか変わってくるか)
もちろん、音楽や動作やかの女の集中力が糸口になって。
でも感動は、
別の、
もっと遠くに高くにある、内なる振動。
選手という楽器が奏でる、音の、向こうにある……。
別の世界。
観客は、そこに連れて行ってもらうという、存在にすぎない。