あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

カフカ「変身」を読んだ

前回読んだのは、高校生の頃だっただろうか。 哀しいなあと思っただけで終わってしまった、確か。
今回読み直したのは、3月にMODEの舞台があって、時間があったら観に行こうと思ったので、その準備。

今、気付いたけれど、書かれたのは1912年。 95年も前に書かれた小説なのだね。
なのにこの、ひりひりする気分と夢うつつは、現代人の孤独そのものではないのだろうか。 当時はニヒリズムと分類されたようだけれど、今の日本でニヒリズムという分野は溶けて、たぶん全員の心奥深くに浸透してしまった。(もしくは、日本人の本質?)

簡潔に淡々と、状況をのべているだけの文体。 
叙情的なもの、感情的なものを排したとき、逆に人間の本質がクリアになるのか?ということは、わたしには少しショックだった。
でもそうして描かれる人間は、弱く愚かで感情的で、判断力に欠け、かろうじて自己中心的な家族愛を灯して、生きている。 作家の視点はたぶん、優しい。 人間を必死に受け入れている。

高校生のときに哀しいと感じたのは、グレーゴルが孤独で、かわいそうだったからだ。 理解されることのない自分の中の違和感と孤独が、ここには描かれているのだと、読んだ。 それは描写ではあっても、解決にはつながらなかったので、わたしの中ではそれっきりになったのだと思う。
そのあと、「城」も読んだけれど退屈なコントだった印象しかない。

今回読んで、やはり哀しいと思ったのだけれど。
哀しいのは、見てみぬ振りをしたり、露骨に嫌悪したり、他人に恥じたり、でもどこかでは情を捨てられなかったりする家族の弱さが、だった。
(年齢と経験は、視点を変えさせてくれた)
グレーゴルはそんな家族に、応えようとするんだなあ。 


ではない。
蟲にたとえることで、家族との気持ちの距離感を、
自分の中の薄闇を、
書きたかったんじゃないのかな?

そんな風に読んだ。