あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「TDV」を観た8 /「欲望」という名のテーマ

(本日、目にした形容詞のホームラン。「ファーストフード的な劇作法」。いえ、別に、この作品がそうだというのではなくて。今の日本人の大半には、この皮肉がたぶんわかんないんだろうなぁ、と、まず)

原作の映画をみなければと思いつつ、未だに。でも、昔むかしに、観てるかもしれない。朝食の前で浮かれるアルフレートの後ろのクコールさんの反応に、デジャブ感がある。どたばたコメディだったんだよね? (やっぱ、観てから語ろう)

コメント8回目にして、ようやく「テーマ」について。あははははっ、いかにテーマが後ろにやられて、お祭りが前にでているか、かも? でもね、たぶん、この作品のNY版の劇評だと思うのだけれど、「趣味の悪い、悪ふざけ」みたいなキビシイ内容だったと覚えている(違ったら、スミマセン)。それをここまで、お耽美に、そして「テーマ」を匂わせるよう仕上げた日本のプロダクションに、ブラボー。 

昨日、伯爵さまが墓場で、今までになく「欲望」という単語を浮かび上がらせるように歌うのを聞き、これはウットリと聞くのではなく、たとえばゲッセマネのように心を痛ませて聞く歌なのか、と。伯爵さまはそりゃあ、オチャメで人を喰った(!)性格みたいだけれど、その裏にはすさまじい孤独感があるはず、と。思いのままにならぬ欲望に引きずられ、自分ひとりだけと対話して、それでも強がって生き続けなければならない、苦悩。(でも今度こそ、サラとの恋愛に失敗すまいという学習機能はないようだ、ヴァンパイアには)

そしてフィナーレで、欲望のままにもっと(もう少し?)自由に、気楽に、笑いながら生きていいんだよ、と踊り狂う堕天使たちのウェーブ。

この2つのモチーフを、際立たせるためには、ではどうする? と、芝居大工(playwright 劇作家のことを英語でこう言う)見習い、は考えるわけです。

そうすると、バスタブのサラを伯爵が口説くシーンは、もう少し違うアプローチになるんじゃない?とか、サラとアルフレートの若さゆえのもつれが、老獪な伯爵には皮肉なまぶしさと映るんじゃない?とか。

笑い転げるショータイムが多すぎて(困ったことに、わたしは全部が好きだ)、モチーフをぼやかしてしまうのか。伯爵さまが、あまりに美しく歌いすぎるから、苦悩がぼやけるのか。(でもわたしは……!)

そして考えるのが、「自分の欲望と向き合う苦悩と開放」というテーマは、日本人の肌にあうのか?という問題です。しかもこの欲望、しっかりセクシャルなものとしている。

チケットの動員状況をみていて(それにしても要領の悪いパブリシティ……)、この舞台の客席を埋める難しさにいろいろと思い当たる。会社はどうやら、夏休み親子ミュージカルとしてアテにしている気配だが、裏番組の「ライオンキング」に対する勝算、してるんでしょうか?

動員必勝法のひとつが、「(特に親子が)連れ立って観に来る」こと。ファーストフードぐらいわかりやすくて、気楽で、使い捨てで、あとたぶんおいしい(泣ける)こと。今の日本人が、ドラマに求めているのは、この程度でしょうね。

そして上っ面の社会性で、ちょっとだけ賢くなったつもりになれるのが、今の日本人は好き。勉強する気もないのに、勉強を言い訳にしたがる。そのくせ、問題意識はもてない。「ミス・サイゴン」が感動の大入りだなんて、アジア人として恥ずかしくないのか? (ま、日本人だけで演じているから、なあ。ブロードウェイで観たとき、白人の思い上がりに、わたしはそりゃあ腹が立ったんだよ) でも、動員はしやすそうだ。親子で観たい、と言わせやすいもの。はい、それで、B級マニアックなヴァンパイアものとしましては……??

もっと、ぶっちゃけたことを言ってしまうと、

観客にとってテーマとか、舞台の完成度とかは実はどーでもいいんだよね。結局、日常の澱をひっくり返してくれるカタルシス。黄門さまの印籠でも、ウルトラマンの3分間でも、行き違いの末の心中でもいいの。でもね、この作品、「サラとアルフレート、結ばれてよかったわぁ(ロマンティック〜♪)」とも、「おお、吸血鬼どもは華々しくやっつけられたのねっ(燃えるぜ!)」とも、ならないんだ、これが!! あれれ? とあやふやなまま、さあっ、みなさん、踊りましょう!となだれ込んで……。

まあ、本心を言えば、時間が空いたら随時、当日券で観ているわたしには、多少の空席は残っていて欲しいんですけれど。 

じゃあ、この舞台で大入り満員は無理なの? というと、いえいえ、大丈夫でしょう、と思う。カンパニーがね、上を目指しているもの。馴れ合いの仲のよさではなくて、みんなで盛り上げようとしているもの。観るほどに、少しずつ練れてきている。(ほんとに少しずつなのは、方向付ける人/ダメだしがいないからなのかな? いるのかな?) ボリュームというのか、エネルギーというのかが、舞台にたまり始めている。このパワーって、確実に客足を伸ばすの(TA時代に実感)。

それにしても、4回観まして(自分の都合だけでセレクト)、サラが同じキャストだった。舌なめずりしながらアルフレートを眺める表情がキュート。アルフレートは2回ずつ。対照的な役づくりで、どっちも好き。歌も安心して聞いていられる。かれらの次の課題は、芝居全体の中で、自分たちが何を語るべきかを探すことなんだろうなぁ。

幻想シーンもねえ、練れてくると、全体の中で、きっともっと意味が出てくるはず。

おお、まだまだ楽しみじゃん♪