あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「らい王のテラス」を読む

戯曲本も絶版だろうし、再演もほぼありえない舞台をコメントするというのも妙なのですが。わたしの芝居の原点はここにあったのか! と、先日発見。あきれるというか、うれしいというか、これで今後、自分が劇作するうえで、わたしの原点はこれなのよっと居直れるなあ。

はじめた観た、お子様むきでない芝居は、1969年。小学三年生の7月。帝国劇場「らい王のテラス」by三島由紀夫なのでした。(らいはハンセン病の「らい」)「お行儀よく、ね」と連れて行っておきながら、母親は終演後、「どう、わかった?」と、恐る恐るたずねる。(たぶんチケットを2枚もらって、友人の都合がつかなかったんでしょうね)「うん、だいたい。わかるところはわかった」と、夢見心地のわたし。おとなの芝居って、すごいなあ。かっこいいなあ。

先日、古本屋で戯曲本を発見、購入。美麗な装丁(司修画伯)。

わたしの奥底に沈殿し、忘却の中に封印されていたと……、それ以前に10歳前の自分がどれだけ理解してたのか不安にも思っていましたが。自分でも驚いた。2箇所、大きな思い違いをしていただけで、ほぼ全部、覚えていた。

思い違いのひとつは、蛇神(ナーガ)を愛人である外国のお姫さまだと思い込んでいたこと。(小三ですから ^_^; )

もうひとつは最終場、「え、このせりふがこっちの役だったの???」 巨大な黄金のカンボジアのお寺の屋根に、颯爽と現れた半裸の北大路欣也さん。輝くばかりの美しい肉体が、病気でくずれていく肉体を抱えて輿の中で死んでいく自分と対話する。そういえば、母に「最期のシーンはわかった?」とたずねられて、「王様の精神と肉体が語り合ってることはわかったけれど、精神よりも肉体が勝つってことがわかんなかった」と答えたことを思い出したのですが、つまりその後、わたしはずっと精神と肉体の役を取り違えて思い込んでいたのでした。

肉体よりも精神が強いと、わたしは10歳で結論していたのね……。

わたしはミシマはほとんど読んでいないので、あまり発言はできないのですが、今にして思えば、肉体の勝利を誇らかに宣言するミシマの気持ちがわからなくもない。(少年時代からひ弱であることをコンプレックスとし、晩年はボディビルに励んだ)

それ以上に、10歳のわたしは、今よりもマットウに芝居を分析していた、かもしれない。キャラクターの対比とか。(奔放な第一王妃に、献身的な第二王妃。ひがみやの親方に理想化肌の見習いなどなど) 母に「この作家はね、いつもおもしろいお話をつくるんだけれど、いつも最後にちょっとだけ難しいテーマを会話させるの」と説明されると、ああ、人を楽しませながら自分を主張するってそういうことなんだなあ、とか。

10歳の自分の感性に学ぶ46歳のわたしです。