2本のDVDを観ました。
念のために説明すると、イギリス戯曲の舞台版をイギリスで映画化したのが、原題のままの『ピグマリオン』で、舞台版をブロードウェイでミュージカル化し、ワーナーが映画化したのが『マイ・フェア・レディ』です。
下品な下町娘イライサを、言語学者のヒギンズ教授が教育によってレディに仕立て上げるという夢物語。 だけどその恋愛は、少し辛口でした。 と言ったところがあらすじ、か。
『ピグマリオン』は初見です。
こっちは、たぶん観てない人が多いよね。
元の戯曲はいかにもイギリスらしい、こんなにステキなお話だったのか、と驚きました。 (脚本も原作のB・ショー)
ヒギンズ教授がクールでわがままで専門以外では視野の狭い、いかにも学者風な変わり者♡
ラストの決め台詞が、女をこれだけ無理に変えさせたくせに自分は変えられないのねと苦笑させられるけど、それもどこかかわいらしい。
イライサが見事で、育ちが悪くても誇り高く、チャーミングな人柄を素としてもっているんだという造形をベースにしている。
『マイ・フェア・レディ』
並べて観てしまったら、ありゃ?という部分が、ぼろぼろと噴出。 ただ逆に、そこをポイントに、大受けを目指すために選択せざるえない劣化条件とかを考えさせられる。
ヘップバーンの代表作と言われるけれど、かの女の本意だろうかと、ふと思う。 巨大な流れに巻き込まれて、したくてもできなかった心残りが多々あったんじゃないかな、と。
同じ台本でしゃべっていても、演出家の無理解でこんなにひどいことになるのねとわかる一方、それでも劇作家の書いた言葉の魔力だけで意味を立ち上げさせることも可能なのだとも実感。
なによりもまず、アメリカ男たちは、ヒギンズ教授の欠点を分析できず、自分たちの正当として押し通しているから、ちぐはぐしてくるんだと思ったんだけれど。
両方を比べながら、エンターティンメントとは何?と考えている。
アメリカ・ショー・ビズの「物量」「成金的贅沢」が、楽しませる、誰もが夢に酔えるという原点なのか。
違う方法論はないのか。