展示は、クリムトの作品だけでなくて、弟たちやご友人や派閥の仲間たちの作品や、家族や愛人たちとの写真など、
多彩な品ぞろえで、
ご本人の作品や作風だけでなく、時代や周囲との人間関係も浮かび上がらせてくれてました。
で。作品たちよりもね、一番の魅力は『ベートーベンフリーズ』の複製でしたよ。
すごい複製です。ホールぐるりの天井までの壁画が、再現されててね。実物大の空間の大きさだけでなく、テクスチャー(素材感)とか壁をひっかいた跡とか、ほぼ、まんまなんじゃないかな。
中央に立つと、かすかに歓喜の歌が聴こえてくるの。人間について、あれこれ思想してしまいます。
クリムトは「成功した画家」の人生を送ってるわけですが、工芸家、職人性が強かったことがよくわかりました。
もしかしたらだけど、コンプレックスとプライドや、(長兄としての)自己主張とか経済観念とかがかれを支えてた気がします。
ふーむ。あのみてくれ(失礼)で、愛人天国だったのは、やっぱ社会的地位と、サービス精神や「馬力」もあったのかなぁ。
わたしの一番のひっかかりポイントは、ある時期から人体のデッサンの質が変わることでした。ふっくらと美しい裸体にこだわっていたのが、『ベートーベンフリーズ』では皮膚のたるみや、その皮膚の中にある骨の存在を描き出すの。
なので一瞬、エゴンシーレの独自なかっこいいデッサンの影響?とか思いつくものの、年表によると出会いはそのあとになるので、むしろ影響を受けたのは年下のエゴンシーレのほうと考えるのが自然だ。
もうひとつ思いつくのが、北斎漫画の人物デッサンとなるわけだが、うちにあるはずの北斎の画集が行方不明で、、、まあ、そのうちネットでみてみよう。
『ベートーベンフリーズ』に関していえば、美しい人たちの描写は、ヘレニズムになるのかな、古代ギリシアの壺の絵が原点だと思う。
でね。
クリムト展に行ったよ、と病院ボラの友人に話したら、
以前の展覧会で、近くにいた人たちが「クリムトとエゴンシーレは出来てた」と話してたのよね、とか言い出した。
ええ? エゴンシーレは児童愛系だし、クリムトの作品からはゲイの匂いは皆無な気がするけどなあ。。。 まあ、そんなことを言う人たちがいたってことよ。
資料をざくっと読んでみると、クリムトがエゴンシーレの才能に執着し、称賛し、とても親切だった記述はある。
まあね。社会的に認められた画家と、虐げられてた画家の対比は、ドラマを秘めていそうだわね。
あと考えているのは、幼い息子を亡くしたとき、デスマスクを描き、闇の中で眠る家族の絵を描いてるときのかれの心情で。
どんな気持ち? ここまで描きこんでるときって、没頭してるよね。そのときの悲しさはどんな質だった? とか。
見当つかないわ。
というわけで、そのうちエゴンシーレ展に行くのが楽しみなのでした。