あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『PQ』の3回目

2009.12.5. 17・15〜 帝国劇場

いゃ、わたしがダンスのフォーメーションの調整にどぎまぎする必要は全然ないんだけれど。
気がつくと、超真剣に見守っていて。 あ、しまった。 ここでは観客は、にこにこと楽しむシーンだったか……と。 
 (-_-;)
みなさん、どうかご自愛くださいますように。 

1幕の最後の場で、ケルト民族の死生観?が、立ち上がってきたような気がした。
そんな気が、した。
日本人の役者が、心から、死人を送っているだけなんだけれど。
衣裳や装置や、舟のせいなのか。 何故か、セルティック
死せる魂は、冷たく晴れた高い夜空に、自然の中に溶けて戻っていく。 送る側の畏れと祈り。 今後、見守ってもらう感謝。

そして祝福しあう生活ということを、考えながら。
うん。
相手を祝福し、自分も祝福してもらう日常とは、どんななんだろうか、とか。
考えたら本来、日常の挨拶とは祝福の略式ではないか、とも思うし。
安全な社会の中で、安心して、だらけて、何も考えなくなってきているけれど。

 

ティアナンは、アンドレ(『ベルばら』の)なのかなぁとも思いつつ。 となると、ドMキャラ?とか。 …………。  ^m^ プフフッ
ってか、
すべてのキャラはグレース・オマリーを際立たせるために書かれている?とも読めて。

初回に観たとき、韓国ドラマ風(ほとんど観たことないんだが……)な進行なのかなぁと思い。
パンフを見たら「KABUKI」風に、とか書いてあって。
その後、友人に説明するときはシェークスピアと同じでという言い方をしたのだが。
つまり、登場人物たちは観客に、絶対嘘をつかない。 裏の気持ちを持っていないって意味で。 哀しいと言ってたらホントにただ哀しいのであって、その気持ちを隠して微笑むということはなくて。
という形式が、日本人の好みとしてはどうなんだ?とか。
そういう芝居とは、どんな向き合い方をするものなのかな、とか。 でもなんか、もっと違う噛み砕き方もあるのか。 それはしないほうがいいのか、とか。

 

というわけで、
民族としての在り方や理解が、まず熟してきたのかなと思うと、ちょっとおもしろい。