「なんだかひびさん、いつもと違う気がしませんか?」
さよちゃんってネ、
わたしなんか、というのが口癖だが実は鋭い感受性の持ち主なの。
ああ。パフォーマーってよりかは、今日はミュージシャン?
「それ! なんか気取ってますよね〜♪」
(⌒p-⌒) ぷふっ。よく言ったっ!
今日のひびちゃずけは阿佐ヶ谷のジャズフェスにご出演。
電車遅延で遅刻して。
ご見物の一番後ろから、縁石の上で爪先立ちして、聴く。
だだっ広い駅前ロータリーの、生い茂る大木の下のステージ。
マイクをつけててもせっかくの音がとっちらかって、塊にならないみたい?
むずかしいなー。
ご見物は(当然だが)大道芸のときと少し層が違う。
聴きなれてる分、逆にこんなものだと納得してるのかな?
わたしは。
最後のほうになって、メンバーがお客の中に入り混じり、半分ナマオトで聴かせてもらって、ようやくうれしくなってきた。
これこれこれ!
最近思うのは、わたしはジャズが好きなのでなく、
ストリートミュージシャンなひびちゃずけのスタンスや演奏が好き、なの。
ひびさんたちのからだがナマに揺らす、響かす空気が、
わたしのからだに響き、心を揺り動かしてくれる――
夕方は、
劇場で。現代アートと音楽とダンスが融合したフランス産のパフォーマンスを見る。
? ? ? ? ? がいっぱいな。
たぶん、主旨は理解できるんだが、で、だから?みたいな。
おもしろかったけどね。
わたしには。にんげんのからだが、アート作品の一部でしかない、ように見えたのね。
オブジェや電子音が持つ、黒と白の空間の中。電気で刻まれている流れ。
お約束なアート。
もう少し繊細に、意味をひとつずつ解きほぐせばおもしろそうなのに?
オブジェや機械と人間の身体との対話の表現には限度があるって思うの。
テーマが「閉塞」あたりから拡がらなくなる。
ひとのからだの「息吹」を、どれだけ呼び込める?
まあ、よい出来のほう、かなー。
とか思って見ていたけれど。
ビデオ画像の比率が、アイフォンか?と気づいたあたりから。
アイフォン、ね。
これからの時代、人間を「表現する」には、電気や機械がモチーフとして必須なのかな?と。
老人ホームで、認知症の方々がロボットに癒されている風景をTVで見たとき、
肌寒い思いと、
でもこれもひとつの答えなんだろうなという気持ちがあり、
ちょっと、その感じに似ていた。
人間の未来。
人間の身体の中に、とりこまれていく、心無い異物。
ある意味、やさしくて清潔な。
そんな時代にわたしたちは流れていくの?
うう。
も少し説明したいニュアンスがあるんだけれど、難しいな。
人間のシナプスも電気信号みたいに解釈されてることとか、
精神を病んでる方が「電波」に対して敏感であることとか、そのへん。
異物というほど異物ではないのかも?
マイクを通した音でも、満足な人は満足であるように。
でもねでもねでもねっ。
今。1日を終えたわたしのからだを甘く微笑ませているのは、
やっぱり、ひびちゃずけの音の残り香。共有した高揚。