まず、タイトルがなんともステキで、
多喜二がモチーフ!ということで敬遠していた音楽劇を、
何回目だかの再演の今回、ようやく観ました。ぎりぎりでチケットを取ったので、BOX席。でも、がんばって観に行ってよかったです。
1幕は、構成の意図がみえなくて、なんか少し、居心地が悪かったです。
そうそう、幕あけで。
世の中の不条理を嘆く台詞が、政治とは一部の資本家が得をするためだけにあるのだからとか、今の世相にどんぴしゃすぎて気持ち悪かった。え、これは繰り返される歴史のうちなの? 今の政治が持つ気持ち悪さは、単に繰り返されている、よくあるパターン?
でも、だからどうしようとか、だから人物たちが動かされたのだという方向には話がいかず、日々の細かな出来事の描写だけで。お互いにそれなりに楽し気だけど、ひとりひとりが何を考えているかよくわからず、観ている側はどこに気持ちを添わせればいいの?みたいな感じで。
芳雄さんの獄中のシーンとか。そのシーンが持つ意味よりも、ブルースだよね、歌い方はそれでもいいけど、他の切り口もあるよなぁとか考えている自分がいて、
ん? ちょっと待て、自分。と、アセる。
2幕まで通して観て、ようやく「組曲」という単語に思い至りました。独立したいくつものモチーフ。それぞれの楽器の見せ場。それらがふんわりと、ひとつの方向を目指している。その向こう側に、
多喜二を殺したのは、時代ても政治でもなく「みんな」なんだと、最後にわたしは解釈しました。
そして芳雄さんが多喜二である意味。からりと明るい男として。人々の心に想いを遺し、つなげていく。たぶん、芳雄さんだからこその、後味なんだろうなあ。
井上ひさしさんは、最後の作品でも、そんな構成で死に物狂いの挑戦をされていたんだなあ。と、そのことにも心が熱くなりました。
ところで何がステキだったって、女優のお三方の声がすばらしくて!
特に高畑淳子さんの、台詞の細やかさとか。役柄的には細やかなキャラではないけれど、台詞を分解して解釈して、意味を立ち上げてくる豊かさが、スゴイの。
もっと早く、観ればよかったのに、自分。
でもきっと今の自分だから見えたこともあったと、思うことにします。