お絵描きや作文に没頭して、
食べることやお風呂に入ることや、髪を乾かすことやその他モロモロを忘れても大丈夫なんだけど。(ん、大丈夫でもないか?)
ベランダのプランターに水をやることだけは、忘れちゃいけなかったのに!
種をまいて、せっかく発芽したコスモスはほぼ全滅。
息も絶え絶えなパクチーはもやもやと絡まり、青い種はコロンコロンとできてはいたけど、元気な種か疑問だったので、思い切って抜く。
問題は、和綿だ。枯れ落ちた苗のほかに、まさかの虫食いがある。知らん顔して緑の小枝のふりをしている尺取虫をティッシュでつまもうとしたが、二本足でくいついて離れようとしない。ので、そのまま、その綿を根から抜いて、ゴミ箱へ。
ごめん、とつぶやく。
ほかの綿が生きていくためなの。ごめん。
以前、間引きした綿の苗が、ほそぼそと牛乳瓶の水の中で生き延びていて。(つまり処分を忘れてた)おー君たちの出番だ。まさかの復活戦だね。土に植え戻す。今さら根付くかしら。
オウムの7人の死刑が執行されたらしい。
ごめんね。とつぶやいてみる。不謹慎かしら。
でもごめん。
ほかのみんなが生きていくため、
なのかな。わからないわね。
大勢を犠牲にしたから、今度はあなたたちがみんなの犠牲になったのかしら。
わからないわね。
なんであれ、人が人を殺してはいけないという概念は、ものすごく近年に生まれたみたいに思うのだけれど。この後味の悪さ、気持ち悪さは、なにかしら。覚悟のない、善人ぶりっこなだけかしら。
でもね、わたしは、
枯らした植物は抜くし、虫はつまんで捨てるんだわ。
ごめんね。とか、気休めをつぶやきながら。
そうそう。
他国ではみなさん、そうなさってらっしゃるから死刑はやめましょ。的な発言は、勘弁してほしいわ。人間として、もう少し違う発想から考えてみたい。
(世の中で、死刑反対!と叫ぶ人たちの理屈に同意できなすぎて、死刑は反対と言いづらいって、なんなんだろうなあ)