少し不謹慎なことを。
先日、散歩の途中で買い物を思いついてしまい、中断して隣の駅から電車に乗った。
隣の駅は、急行の通過駅である。
ホームでぼうっとしていると、スピードを落とさない車両が目の前を通過した。その鼻先を眺めながら、
タイミング、案外むずかしくない?とか感じた。
もしもわたしが飛び込みを計画しても、
例によってのタイミングの読みの悪さというか、動きの鈍さというかで、確実に失敗するんだろうなーと予感したのだった。
そうしてたぶん死にきれず、だけど理不尽な痛みに・・・・・・ううっ・・・・・・痛いのはいやだなあ。想像を絶するほど痛いんだろうなあ。
で。もし上手に飛び込めたとしてね。
あたりは大騒ぎになって、交通は大混乱して、ここに居合わせる多くの人たちに血まみれの気持ち悪い思いをさせることになるんだなあと思い。
大学のある駅なので、周囲には少し無頓着そうな若い人たちが多く。
感じたのは、
飛び込むという行為は、もしかしたら世の中への強いハライセなのかもしれないと、迷惑をかけることによって注目されたい自己主張なのかもしれないと、思いついたのだった。でもそれ、なんかムカつくなあ。
今まではね。人に言えない悩みを抱えてしまって周りがみえなくなった気の毒、みたいなイメージを持っていたのよ。
疎遠にしていた幼なじみは、そうやって逝ってしまったしね。
わからないけどね。他人の動機なんて、結局未知だわ。
と、
わたしには少しめずらしく、突き放したような感情になったのだった。
無常というセンチメンタル。