あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『赤鬼』@多摩美

思いがけず金脈にぶつかった!印象の舞台でした。

 

多摩美の学生たち(演劇舞踏デザイン学科の一期生)がユニットgentenを立ち上げ、講師を演出として巻き込みながら上野毛校舎のスタジオで無料(カンパ)公演。

ベースが美大なので、たぶん美術や衣裳(染めから)も学生なのではないかと思います。テキストは言わずと知れた学科教員の超名作。

なんと贅沢な!

 

驚いたのが、とにかく学生たちのからだでした。まだ未分化未消化の傾向はあるものの、からだも気持ちも、細胞レベルで自在に操作でき初めている!
コンテの授業があるの?と聞いたら、なんとてっしーさまの授業が1・2年生で必修なのだそうです。必修! 毎週ぼろぼろになるまで! みてもらえるんですって!! 

なんとなんと贅沢な!

 

台詞も明瞭。なによりも本人たちが自分たちのやりたいことをくっきりと自覚して実践しているので、観ていて存在が気持ちいい! 

こんなに稀有で素晴らしい表現能力を持つ人材たちが、学校という継続したシステムで、超一流たちに技術を叩き込まれて育っている事実。知らなかった!(すみません。母校です)

 

観劇のあと、別の稽古場で役者のひとりに話したら、

よその現場で一緒になったコのプロフ(ィール)があまりにゴージャスで、うおーと反応したら多摩美だからと返されることがときどきあるんだそうです。 

つまり、モトシキとかモトヅカとかブゲイとかキャラメルとか、役者としての出自を言うときに、多摩美も数えられるようになるのだな、今後は。うわーうわー。

ただ、コンテレベルのからだと気持ちを持つ演者たちを、ちゃんと使いこなせる演出家が日本にはどれだけいるのだろうかと、そっちが心配になってくるな。

閑話休題

  

来週は石巻公演。次の土曜日が東京の最終公演。

残券わずかなようですが、ぜひぜひお運びください!! 特に新しい才能と出会いたい方は必見ではないかと!

そして、カンパにはぜひ、茶色いお札をよろしくです!!

 

 

 

わたしは上野毛校舎のすぐ近くで生まれ育ったけれど、通ったのは八王子校舎で。もちろん、スタジオに入るのは初めてでした。それでも母校なので、受付のコたちからしてがスゴクいとおしい。

で。今回演出した講師というのが、旧い友人の圭介くんです。なので、もう何重にもひいき目なのかもしれない? 

 

考えたら圭介くんの演出を観るのは久しぶりかもしれなくて。
かれは、わたし好みの端正で効果的で、演者がめちゃステキに見える演出ができるのに、どこかで必ずがつんっと壊したがるのが、とても懐かしかったのでした。その壊し方も、だめじゃないけどぎりぎり?な不思議な世界観で、でも「あれはなぜ?」と訊いたことはなく、そして演出家としてのかれの世間的な評価を分ける部分かもしれないと思います。

今回は、とてもステキな舞台をありがとう!

ふたつだけ「ふーん」があったよ。

 

野田さんご自身がこの作品を演出したとき、赤鬼が去るシーンは静謐で自己犠牲が祈りに昇華していく印象だったのが、違う運出をしたかったんだろうなあとは思うものの、あれもひとつの大切なテーマだったにのな、と思えたことと、

演者たちと、学生として真摯に向き合ってる結果なのかな、特に女子をちょっと崩してかわいらしくみせる圭介マジックが薄かった気がする。ってことです。

 

 

それにしても二十年前に書かれた『赤鬼』。ひとかけらも古びず、強いメッセージを内包している凄さ。

そして、
別の回のアフタートークで、ちいさな観客が「赤鬼ってなんですか?」と尋ね、演者のひとりが「未来かもしれません」と答えたとのリツイートが流れてきたとき、打ちのめされました。

異文化への嫌悪、交流の困難、それを超える憧れや共有、あたりだと思い込んでいた自分の硬さ。そうかあ。「未来」も、なんだねえ。その解釈は、わたしの感情をぶわっと押し広げてくれましたよ。
演劇の未来は、きっとステキだわ。