降る程の星空――みたいな言い方をするのだろうけれど、おととい見上げたときは、
自分のからだが星の中へと落ちていくみたいだ。
と感じた。
真夜中という静寂の中、上に向かって吸い込まれるように、落ちる。
自分の中で、なにかが目覚めていくような眠りにつくような、そんなあわいの感触。
そして眠り、目覚めた次の日は移動日で。集中工事中の高速道路は、いつもより一時間余計にかかった。
動かないバスの中、ウォークマンでぼんやりと久しぶりのレッドツェッペリンを聞きながら、ときどきはロックを聴いて自分の中を空っぽにしなきゃな、とか考える。ロックって刻むことや叫びをからだにこだまさせることで、自分をシンプルに戻してくれるのかも?
などなどと、想いはとめどなく自分の奥深くを潜っていく。
落ちていく。
窓越しの初夏の光という、浮遊感。気づけば背筋を伸ばして座っていた。
膝の上には書き散らしたメモ。もろもろの気づき。メモにすらならない、自分自身との向き合い。
夕方には、芸人まことサンが主宰するライブへ行く。『パフォーマー・イン・ザ・ダーク vol.10』
7組のパフォーマーさんたちが、小さなライブハウスで、いつもとは全然違うショ―をみせてくれる。
ショーとショーをつなぐまことサンの自在な話芸。座って聞いてるだけなのに、おしゃべりしてるような気安さで、げらげら笑っている。居合わせたみんなが、ちょっとパンクでとてもいいひとであるような手ざわり。
もじゃくんは、演芸場のパロディというか、なんなんだろうな。この空気をつくる上手さは。古典落語やその周辺の雰囲気を、軽々と演じてみせて。その抜け感がなんともおかしい。お着物が、ありゃ紬? めちゃいいお召し物でした。ん、衣裳に助けられてたのか? 単なるひいき目か?
かれの本質はマジシャンだと思うのだけれど、でもたぶん、いわゆるマジシャンのイメージを全面否定したいのかなと。で、そのためのマイムだったりラップだったり。使い心地悪そうにピエロだと名乗ってみたり。
いろいろトライして、最後はマジックに帰結していくんだろうなあ。させていってね、とか思う。
そしていっぺーさんのバンド、アンアンポガの音を初めて聞いたあ。
不敵な大音量に、だーれもついていけないような複雑なリズム。むちゃくちゃかっこいい。ドラムスやベースの刻みに神経を飛ばすのだけど、すぐに置いてきぼりを食う。必死に喰らいつく。そんな狂気が楽しい。
ただしね。わたしのほうが、年をとったし、ライブなんて久しぶりだし、筋肉がついていかないのだった(大笑いだね)。からだのぎりぎりを探りながら、リズムを追う。ちなみに大音量のほうは、その日寝るまで、右耳(スピーカー寄り)がしゅわしゅわし続けるハメになるのだけれど、
自分を他人に明け渡す。そんな快感。開放。やっぱ、ロック聞くのは大切だな。
あとね。
ライブが終わって。終電を気にして階段を上る途中、ギターのムラサキ色の人とすれ違って。「楽しんでくれてありがとう」と言われました。(フロアのほかの人たちはおとなしかったからなあ)いい言葉だなあ。いい言葉だなあ。楽しんでくれてありがとう、だって!
その日、眠るためには、家で少しアルコールをからだに入れました。神経が、いろんな手触りでわしゃわしゃしてて(ほんとに、いろんな種類のショーをみたもん!)、右耳はしゅわしゅわしてて。
いろんな奔流に流され、からだか浮遊し、落ちていく。
そんな一日だったのだよ。
そうして、いまだに、わたしは作られ、書き換えられていくのだわ。