伊藤計画の『ハーモニー』がアニメ映画になり、友人がバースデイプレゼントにチケットをくれて。(ほんとにありがとう!)
そして観終わった後、首をかしげてしまいました。
たしかにこういうオハナシなんだけれど、こういうオハナシだったっけ???
まあ、あの魅力的な文脈の手触りを映像にするのは不可能だとしても、
あの時点では主人公はもっとナイーブな内面を抱えていたし、だからこのシーンはもっと大きな意味を持たなきゃいけなかったはずだし、結末ももっと逆説的な展開だった記憶なんだけど?
が。
ほかの友人(♂)に聞くと、や、まんまだったと思うよ?と言われ、
原作本を再読。
そしてはじめて気づいたのでした。
わたしはモノスゴク、いわゆる「行間」を勝手に埋めてて。読むと同時にイメージされる少女たちの内面の流れにとても共感・共振・感動していたのですね。
それにくらべて男子は、書かれたこと/叙事だけを理解して読むみたい。
そう考えると映画の構成や表現も理解できる。
むん。これは男女差というより、体質の差かしら。
ってか。
自分のものごとの見え方や理解が人とは少し違うことは、自覚しているけれど。(これは物書きとしては弱点だし、悲喜劇でもある)
ここまで根本的なへだたりがあったとはっ!
過去、あのひとと感動を共有した感動を交わしたつもりでいたアレコレは、実際どんだけだったんだ?と、血がひいた。
ちなみにこのあと、
サトクリフの『第9軍団のワシ』の映画を観て、原作を読み返してみて、再認識しました。あああああ。
あなたとわたしは、
いったいどれだけ理解しあっていたのかしら。
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