ああもう。昨日は向かう電車の中からすでに、でへでへと微笑みがこぼれ、一応澄ましていようと努力しながら劇場でパンフやグッズを買ったのだが(売店で対応してくれたのは旧い友人だった)すっげーうれしそうな顔してんだろうなー自分、と思い。
客電が落ちた時点で自分的には解禁になって、うははは~って笑顔になって。
たぶん。
観てる間ずっと? 超笑顔で。
終演後、お堀端を半周歩いてから(クールダウン、にはならなかった)乗った地下鉄ガラス窓に映る顔は、そりゃ幸せそうで、
一日たった今日も、買い物に歩きながら、全身に微笑みがたゆたっている感じだなあと思い。
そんなでした。ありがとうございました。幸せです。
なんの話かとわからない方のために言えば、大好きなミュージカルの再々再々演を見てきました。それだけです。
初演から9年。自分でもなんで、こんなに幸せなんだか、まるでわかんないです。ちなみに初見のときは完全に人格が壊れました。はははは。
演出の先生が「舞台をみてて、はがゆい部分もあった」とか、ご自分のブログで書いてらして、ああなるほど、生煮えがある出来だなとも思いますが、
テキストも尺も変えずに、目が覚めるような別の読み起こし(←こんな言葉づかいはない?w)がされていて、うあ、このセリフはこんな意味でしたかとか、伯爵さまの動機ってコレかあ!とか、もしかしてサラは1617年の少女に似ているのかしら?とか、
ここまで新鮮に作品と出会いなおすことができるとは!!
ほんとに、新しい作品と言ってもいいのかも。
生煮え部分は、回を重ねれば練れてくるでしょうし、
頭で演じることが優先しているキャストも、周りに引きずられてそのうち(いい意味で)壊れてくることでしょうし。
あ、あ!
マグダとヘルさまをキャストした人、えらいです。すばらしい!
わたしの中では。
前回公演と今回の間に起こった最大の出来事は、大道芸に深くかかわった!ことで、
社会の中で自由にはぐれて生きることや、でも社会との接点は深く潔く、
そんなことを考え続けてきたわけで、
欲望とモラル、開放とルール、ロックとシリアスの対比というか、理解というか、洗いだされるように。作品のあちこちで新しい意味を揺さぶられるようで、
最後の神になる欲望って、より先を目指さずにはいられない探求心とか向上心という飢えのことかしら。とかね。思ったりしたの。あれ、でも、それはシリアス(教授側)な価値観かしら。
開放されるって、すべてへの肯定なのかもね、とも。だからわたしは、ずっと幸せなんだわ。
ちなみに、りーくんのストラップを携帯につけましたが、どっちが主なのか微妙な重さです。
あと私信!
初演カーテンコールでリクエストしてきて、わたしがわからなくてできなかった動作を、実は昨日、振付のどさくさに紛れてやってみたのに、見てなかったでしょう? もぉ。