古本で手に入れた、小学生の頃の愛読書。
懐かしく読むうちに気づいたことのひとつ。やたらに「頬ずり」が出てくること。
小学生のわたしは、欧米の人たちはスキンシップが好きだなぁ、くらいの肌触りで読んでいたわけだけれど。
今回、思った。
「頬ずり」と訳されてる部分の原文は、たぶん「キス」だよね。
キスの習慣の薄い国の、よいコのための文学だから、そう置き換えたんだよね。
※ 原文を捜す気はないので、あくまでも、たぶん、なんだが、このまま話を進める。
でも、今更ながら、ステキな訳だなと思ったんだ。
小学生のわたしは、頬や腕のやわらかさや温かさって愛情の温度を、すんなりと受け入れられた。
うん。恋人同士の頬ずりにね。あこがれた。(ぷふっ)
ちなみにその数年後(1971)の、
中一(女子校)の鑑賞会で観た映画の『南太平洋』でのキスシーンの、
スクリーンいっぱいの、どアップでは、
クラス全員で「きゃぁーっ!」と叫びながら、指の間から凝視するような時代でした。
その約20年後の『オペラ座の怪人』の初演では。(1988)
幼馴染の再会ラブシーンで、海外の演出家のつけたディープなちゅっちゅっの回数に、
日本の場合、それでは初恋のイメージが失われるからと2回にしてもらった、とか。
(その代りに、たっぷりと時間をかけてとの注文がついたんだっけ?)
そんな時代でした。
思い起こせば。
『エリザベート』のトートとルドの(男子同士の)死の接吻だって、
初演からしばらくは、そこに来ると客席が息をのんでしぃぃーんと震えてたものが、
いつの間にやら普通になっちゃったし。
日本人のキスの文化も、ときめきが欠けるようになっちゃった?って気がしてきたわけです。
それで、ね。ちょっと話がそれて、
最近のハリウッド映画を観ていて感じるのは、R指定の算盤勘定の見事さで。
ラブシーンで、男女が裸でひとつのペットに入っているとか。女子のおっぱいが見えるとか。
スプラッタで、からだを切り落とすシーンとか、血が飛ぶとか。
ゾンビが人肉を喰うシーンをそのまま見せちゃうとか、
細かい目盛の中で、何歳以下は観てはいけませんになるらしくて。
だから。
以前はいかにドギツイ画面を作るかを競っていたのが、
最近は、動員/客層の幅を広げるため(R指定を外すため)にか、
直接映さない表現を選ぶようになってきたでしょう。
なんかね、都度、スマートな表現だなあと感じる。
(あ。邦画『地獄でなぜ悪い』の後半みたいなのも好きだけれどね〜♪)
直接、説明せずに、音や表情や雰囲気だけで緊張を描くのって、
別のドキン!があるよなあ。
そして。
昔は、舞台の上でのキスは、フリだけだったなあ。と思いだしたんだよ。
らしく見せるための工夫に、むしろ感動したりしてね。(←これはわたしだけかもしれないw)
今の時代に。
舞台でキスしないで。頬ずりで恋愛の表現はできないのかな、と夢想してみる。
現代ものでは無理かな。
『レベッカ』の時代設定ではどうだったのかな。
とか、ね……