あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

演技にも種類があるの?

自分の思いつきを、どこまで説明できるか不安です。
 
 
真実とはたぶん言葉にできないところにあるものですが、
言葉にしてまとめておくと、とりあえず、
1 整理して
2 記録しておける
ので、便利です。
 
言葉、芝居の台詞とは、そんな程度のもので、
だけど、
役者のからだや声を通し、観客のからだや心を通して、はじめて
真実に近付いたり、お飾りになったり、虚飾になったり、無意味になったりして。
 
挙句の果て、他人さまの人生を励ましたり、塗り替えたりもするわけで。
 
一筋縄ではいかない。
 
 
最前列のほぼ中央で見たミュージカルは、
本当に目の前で、
お人形のように美しい人たちが次々と、それは美麗なお衣裳で、それは美しく熱唱されてて、
とても楽しかったのでした。
 
お衣裳に使われてる布がね、見事見事で。唖然。
 
 
そしてようやく。Wキャストの、もうひとりのベスを拝見しまして。
演出家さんが求めているベスが、お芝居の質が、なんとなくわかったというか。
 
本当に、どのシーンをとっても夢のように、少女まんがのようにお美しい方で、
様式化された表現も安定していて、
ベスの考えていることが、手に取るようにつたわってきて。
 
あ。もうおひとりのは、歌唱のエネルギーとカタルシスが素晴らしくて、
どっちがどっちと言いたいわけではないです。両方とも、それぞれのベスですから。
 
 
その日。プリンシパルの女性4人のカラーが、なんとなくまとまりいいなと思ったら、
あ。全員モトヅカさんだ。
というわけで、
タカラヅカ流の芝居、とも言いきれないので(あまり観ていないもの)、レビュー風の芝居というか、
でもタカラヅカさんのシステムも含めて、感じたことなんだけれど。
 
タカラヅカの生徒さんって、きっついヒエラルキーで成り立っているでしょう?
トップであればあるほど、「自分が引っ張っていく」芝居をしなきゃいけないのではないのかな?と。
(あくまでも、たぶん、ですよ〜!)
 
相手と探り合いながら、あれこれと化学反応を試して、押し引きのかけあいをするのではなくて。
あ。この場合の相手とは、役者であり、観客でもあるんだけれど。
 
 
 
という方たちを相手に、
 
相手の出方を待って自分の中の反応を探りたい演技をするのは、
見栄えがしないのでは?というかね。下手に見えるよ。他の方法論が必要なのでは? とかね。
(これは若干一名宛てですなw)
 
 
 
幕切れ近くの、
いくくんとゆーいちろうさんが、唯一ふたりだけになるやりとりで。
んんん? なんか急に異質な、(わたしには馴染みのある、って当たり前か)風が
一瞬だけ吹いた?と感じたのは、
 
たぶん、
 
ふたりが「タカラヅカが求める男(役)」とは、ちょっと別の美学だからなのかなぁ?と考えて。
 
 
 
おやおや。
女だけの劇団によるラブストーリーに、お客さまが求める夢ってのは、
日常の男社会からの、日常の男たちの支配・圧迫からの逃避、解放ってことなのかしら?と。
(ナンダカンダで、日常いろいろと男に気をつかってんですよ、女は。いろいろとネ!)
 
ふーん。じゃ男だけの歌舞伎のほうは?
ああ。日常では縁遠い、
一生懸命すぎていじらしい男たちを賞味したいのか?とか、ね。
  
 
という喜びがニーズであるのなら、
わたし好みの今風な芝居とか、
この世の神秘の探究とかは、余計なものなのかもしれないなぁ、と。
 
笑笑っ。自分の好きなものの支持を手放す気はないけどね。
 
 
 
ただね。
 
魂の叫びが、お互いに無音でぶつかりあったときには。
これはもう、形式もなにもなく、ただただ人を感動させるはずだから。
 
あれこれ考えても、リクツはすべて霧散してしまうはずだわね。
 
 
 
 
もひとつあったわ!
 
かなめさんがね、歌いながらときどき「ん〜っ」と口をキツク結ぶのが、(こんなクセありましたっけ?)
いじめられた男の子が泣きだすのをがまんしてるみたいで、かぁいかったんだ♪
 
  
ああ。もひとつ!!
いくくんの、あの瞳にみつめられて、NOと言えるベスはすごいな。と思いました。
傍からみているだけでも、腰が抜けそうだったわ♪ きゃん♪