引力の法則ですかね。
『笑いの大学』についてぼんやり考えていたら、友人が映画についての感想をつぶやいてた。
わたしの発想と関係するのかどうかはわかんないけど。
えーと。
表現者として、秘密保護法案の反対運動のお誘いがあったりするわけですよ。
反対はごもっともなんだけれどね。わたしには違和感がある。
だってね。
わたしは誰かのルール、社会のルールのもとで表現を選ぶ気はないので。
世の中にどんな法案があろうとも、関係なくない?
自分の信念が正しければ、それはどんな状況でも正しいはずだし、
生活をイノチを賭けられる、はず。
で、『笑いの大学』です。
表現者としての戦い方ってのは、アレでしょ。あーでありたいわ。
諸外国から押し付けられてるTPP。
今さら、みんな何を言ってるの? 自民党を選んだ時点でこうなるってわかってたでしょう?
それに最終的に選んで買うのは消費者でしょう? そこでの抵抗はできないの?
とか思ってたんだが、
フト見た国会中継で、維新の会の元トレーダーさんだかが、
円安を操作すれば関税分なんて消せるでしょう?と指摘してて、笑った。
逃れられない問題の抜け道の発想。
さっきまで、映画『リリィ・シュシュのすべて』を観てました。
リアル日常の閉塞感の逃避先が、リリカルで美しくて痛ましいのだけれど、
抜け道の発想が貧困なのかな、日本人は。
ダメだという考えに支配されて、身動きできない自分になってしまうのかな。
12年前の映画は、現在の進化以前の人間関係でした。こんな時代があったっけな、って世界。
ただ、(よくも悪くも)もっとクールな現在の、原点だし、派生点であるって気もした。
もう12年立ったら、
今のわたしの悲痛な幼稚を、そのときのわたしは俯瞰するのかしら。
でも今日を、原点に、派生点にするためには、
ただ一生懸命に、
がむしゃらに、
もがいてるしかないんだろうなぁ。