あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

退屈であること

かなり昔。
TVのインタビューで、アンテナを研ぐために日々どうされてますか?との質問に、浅利さんが
「退屈を心がけてます」と答えてらっしゃいました。
 
インタビュアーも、見てたわたしも、きょとんというか、いや、逆だろ。と内心突っ込んだ。(と思う)
「退屈、ですか?」との半信半疑なインタビュアーの問いに、
浅利さんはにっこりと「あなたはまだお若いから実感がないんですよ」と。
 
 
 
で。その年齢に届いたのか、
 
最近。実感できるようになってしまった。
退屈する自分。を楽しむ。
  
 
正確には、
若い人たちのあの芝居もこの芝居も当たり前に受け止めて、まるで刺激を感じず。
舞台のうえでとんでもないことをしているはずなのに、既視感こそあれ、非日常を感じない。
さて、こんな自分でいいのか?と自分に問うたとき。御大の言葉を思い出したのだよ。
 
なるほどね。これか。
 
 
無理しておもしろがろうとする必要はない。淡々と受け止める。
それでも、自分に届くモノがあったら、それがホンモノ。
 
 
 
あ。退屈しながら舞台をみていても、
批判的な視線は持たず、理解を心がけながら、できる範囲で楽しむんだよ。
ああ。ここは好きだな、という部分は、必ずみつかるし、
 
好意は持てる。そこが大切。
 
 
 
経験値にあわせて心動かすスイッチが少なくなっていくのなら、
さざ波に対して敏感でいないといけないのだ。
 
退屈というナーバス。