かなり昔。
TVのインタビューで、アンテナを研ぐために日々どうされてますか?との質問に、浅利さんが
「退屈を心がけてます」と答えてらっしゃいました。
インタビュアーも、見てたわたしも、きょとんというか、いや、逆だろ。と内心突っ込んだ。(と思う)
「退屈、ですか?」との半信半疑なインタビュアーの問いに、
浅利さんはにっこりと「あなたはまだお若いから実感がないんですよ」と。
で。その年齢に届いたのか、
最近。実感できるようになってしまった。
退屈する自分。を楽しむ。
正確には、
若い人たちのあの芝居もこの芝居も当たり前に受け止めて、まるで刺激を感じず。
舞台のうえでとんでもないことをしているはずなのに、既視感こそあれ、非日常を感じない。
さて、こんな自分でいいのか?と自分に問うたとき。御大の言葉を思い出したのだよ。
なるほどね。これか。
無理しておもしろがろうとする必要はない。淡々と受け止める。
それでも、自分に届くモノがあったら、それがホンモノ。
あ。退屈しながら舞台をみていても、
批判的な視線は持たず、理解を心がけながら、できる範囲で楽しむんだよ。
ああ。ここは好きだな、という部分は、必ずみつかるし、
好意は持てる。そこが大切。
経験値にあわせて心動かすスイッチが少なくなっていくのなら、
さざ波に対して敏感でいないといけないのだ。
退屈というナーバス。