あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『レミ』新演出

帝劇。音響システムかわったのかな? 座席がよかったのかな?
立体的で豊かな、とってもいい音で楽しめました。
 
 
さて。
 
 
とうとう観てきました。新演出の『レミ』。
なるほど!という、いい舞台でしたよ。
すべてを新しく洗いなおして、演劇的な計算もすばらしくて。
 
歌詞で、以前はちぐはぐに感じられてた部分が、
まったく違う動線で、ほとんど同じ歌詞を使っているにもかかわらず
今度はきちんと説得力を持ってたことに驚きました。
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 
えーと。
 
主観的な感想は書かないでおこうと思います。
意識下では、なかなかナーバスなことになってるのを、
封じていますので。
 ( ̄▽ ̄) ははははは……
 
バルジャンやジャベールは、思い入れが違う分かなり点数が辛くなっちゃう。
しかたがないでしょ?
(観る前はフラットに楽しむ!が目標だったけれど、途中であきらめました。無理!) 
 
 
これから書くこと。
もしかしたら「今さら?」なことかもしれません。
ずっとずっと情報をシャットアウトしてたから、わかんないのよね。
 
 
 
舞台を創りなおしたのは、映画化にともなってだということが
一番の実感でした。 
映画を観て興味をもってくださったお客さまが、
舞台も観て、舞台は舞台ですげーなって感じてくださるために。
 
以前の舞台は、何もない空間が基調で、
いわば本の行間を自力で埋めなければいけなくて。
新演出は、それを全力で説明している。
映画を観た人のさらなる満足、を目盛りにしたのかな、という印象でした。
 
 
映画も美しくてよかったけれど。
 
わたしには、しょせん映画だという言い方もできて。
観客が同じ現場にいるからこそ発揮される役者の熱や、
ミラクルな高揚感には欠けるわけで。
 
まあ、でも。
腹を括れて、新演出を観る勇気につながったのだから、な。
 
 
 
新演出の舞台を観て。
はじめて見えてきた構築がありました。人間関係の図式。
これが今回、一番の感動かな。
 
バルジャンやジャベールの生きるスタンスは、神との対話がベースで。
ジャベールは禁欲的でゆるぎのない契約。
バルジャンは、その場その場で博愛を貫く契約。
どちらも、その生き方を貫くことで、神の愛を得ようとしている。
 
神との対話のありようは、日本人には理解できない領域だわね)
(でもこの舞台では、日本人としての感性で演じるのではなく、
 あくまでも原作のバルジャンを追わなければいけない気がします)

下水道で、その神さまを否定するテナルディエは、
時代のもうひとつの終焉を歌っているのかも、しれない。
 
で、新しく気づいたのは。
バルジャンやジャベールの生き方は、もう旧い、のだ。と、
作家は(この時代においてすら)書こうとしたのかもしれない???
 
次の世代である、
マリウス、コゼット、エポニーヌは、神について語らず、
エロス/人間の友愛にしか価値感を持っていない。
 
でも最後に、それも神の愛だと締めくくるわけだけれど。
神さまの世界の「列に入れ」と歌われるわけだけれど。
 
信念に命を捧げた学生たちは逝き、
女の子にうつつを抜かしたマリウスは生き残り、
命を助けたバルジャンの動機は、博愛ではなく家族愛で。 
 
利己的な愛の新しい豊かさというのかな。が、
世界を作るんだね、と。
映画でも見えなかったけれど、新演出の舞台からは伝わってきたんだ。
 
 
 
映画で、今までと一番違って感じられたのは、マリウスの存在理由でした。
(つまり新演出ではどうなった?というのも興味のひとつでした)
未来へ生かされる意味、みたいなものを強く意識させられたの。
マリウスは、生かされなければいけなかった、という意味。
 
映画のマリウスは光の廃墟の中にいたけれど、舞台では暗闇の幻影の中で。
なのに、同じ糸で繋がっている気はしたんだよ。
 
 
 
いく's 初日でしたね。おめでとう。
 
オモテで魔法を見せるために、
舞台裏がどんな騒ぎになっているのかはわからないけれど、
事故には充分気をつけて、ね!