友人に貸した本と一緒に梱包されてきた、アニメ『巌窟王』全24話。
昨日の夜から始めて、みみみ観終わったぞぃっ!
単純計算しても(30分×24話) 12時間ですな。わははははっ。
以外は寝て喰うしかしてないわけだ。
ひとり暮らしバンザイ。
おもしろかった。いろんな意味で。
9年前に、こんなスゴいアニメを作ってた日本。
すっごくすごいんだけれど、
シーンごとにわくわくするんだけれど、
映像の質感の統一に無頓着なのがちょっと気になる。
日本人ってその辺は気にしない・ならないのかしら。とか。
(つまり、気になるわたしが変なのかしら、と ノ(-"-) )
しかしいまだに目の中で、
いろんなテクスチャー(材質感)と動きが、音楽と一緒に、
オーバーラップし続けているわ。はぁぁっ。
視神経の興奮状態が続いている。
そしてたぶん、なんだけれど。
23話は本編を秒単位で編集しても時間が足りず、
オープニングテロップと予告を削って時間をたたき出してるような?
という姿勢にもドギモを抜かれました。
(んん。違うかもしれませんけど)
設定をSFにしているけれど、通信手段だけはお手紙のままな未来。
そっか。ここだけは譲れないわけだ。
『巌窟王』って壮大なようで、意外と
よく言う「半径5メートルな人間関係なドラマ」だったのだな、と。
これもびっくり。
映画の『愛と誠』を観たときも思ったけれど、
現実感を否定することで、
それでも打ち消せないリアル(いわゆるクサイテーマ)が浮かんでくる。
これも(パロディに近い?)ひとつの手法なんだね。
まんがでも、ミュージカルや舞台劇でも、そこを意識したことありませんでした。
という最近の発見。